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<大学院メモ>教育哲学の種類の多さにぶっ飛んでおります!

メモです。
教育哲学を学びました。内容が濃すぎて鼻血が出そうです……。完璧ではないですが、こんな感じで学んでいるので置いておきます。

教育の分類は大きく「先生中心」か「子ども中心」かに分かれる

教育哲学の分け方にはいろいろあります。
大きく分けると二つで、「先生(教科)中心」か、「子ども中心」か、です。

もともと、教育の多くが「先生中心」でした。
工場や農業では「比較的単純な作業に長時間従事する」ことが求められます。
労働者に最も重要なものは、時間厳守、指示に従うこと、長時間の単調な作業への耐性、最小限の読み書き能力でした。ワガママは悪徳。権威に従うこと、従順になること、「絶対的な真実」に従うことが必然とされました。彼らの観点からは、学校で教えられる教科が「鈍い」ほど良く、体罰は当然でした。

この反省から生まれたのが「生徒中心」の教育哲学です。
子どもは興味を持ったときに最も学べる、という考えです。

今でいう国際バカロレアや、モンテッソーリはこちらに入ります。

よく先生たちが
「私たちが子ども中心の教育をしているのに、親が焦って家でドリルをやらせるため、子どもが混乱する」と愚痴っています。
そういうことだったのか、と。真逆の教育思想だったのですね。

<先生中心の教育方法>


伝統的な教育方法で、「教科中心」とも呼ばれます。ドリルなどの「暗記教育」はこちらです。日本や中国の教育はこちらで、よく「アジアの伝統的教育」とか呼ばれます。

全ての子どもが同じペースで学ぶ
全ての子どもが同じ教科を学ぶ
子どもの興味にかかわらず教える
規律を重んじ、権威に従うことを学ぶ
ハードワークの重視
テキスト中心

1 Essentialism本質主義

知識を絶対的な変わらないものと考えます。子どもの性質にかかわらず、平等に同じ教科ーー読み書き、文学、外国語、歴史、数学、アートなどを教えます。読み書き計算・繰り返しドリルなどテキスト中心で、ハードワークの重視します。
先生は学びのリーダーで、権威に従うことを学ぶ。根底にはギリシャ哲学のIdealismがあります。

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