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日本製が消える背景には「家電が簡単に作れるようになったから」がある。ではターニングポイントはいつだったのか?

日本製がどんどん消える。
そんな週刊現代の記事を読みました。

ここまで見てきたような鉄鋼業界、自動車業界が直面する困難には、共通した「根本的な原因」がある。それは、「他のどの国にも作れないと思っていたものが、いつの間にかどの国でも作れるものになっていた」という厳しい現実から、目を背けてきたことだ。
「技術っちゅうのは、ウナギ屋の秘伝のタレみたいなもの」

 こう豪語したのは、'98年から'07年までシャープの社長を務めた町田勝彦氏だ。町田氏は「液晶一本足打法」で全経営資源を液晶の生産に投入した。

 だが、あっという間に韓国や中国のメーカーは「秘伝のタレ」を完璧に模倣した。大画面液晶はありふれたものとなり、同社は破綻の瀬戸際に追い込まれて、'16年には台湾メーカーの鴻海(フォックスコン)傘下となった。液晶の製造にも携わった経験のある、同社のベテラン社員が言う。

 「結局『秘伝のタレ』だというのは町田さんの思い込みに過ぎなかった。『亀山モデル』で一世を風靡したシャープも、今ではアップルに液晶を安く卸す下請け同然です。'90年代から'00年代にはあれだけ下に見ていた中国のメーカーと比べても、同列どころか下の立場になってしまった」

記事ではパナソニックもトヨタも同じ運命にあると書いています。

ターニングポイントはいつだったのか?

さて、ここで思い出すのが、2003-4年頃の世界最大の家電ショーCESです。

CESとは、米国ラスベガスで行われる世界最大の家電見本市。
当時はソニーやパナソニックが基調講演を行っていました。

ところが華々しい舞台とは裏腹に、現地で取材していた私には嫌な予感がありました。
パーティーでは、まったく違う会話が交わされていました。

「もう日本メーカーの時代はおしまい」と私に言い放った米国人のジャーナリストがいました。

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