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スルー力が多様性社会に必要なわけ
こんにちは。野本です。今日は短いコラムです。
ツイッターでsugamariさんが、こんな投稿をされてました。
仲の良い友人が、スピリチュアルに傾倒している。
— 整理収納の母 sugamari (@sugamari_spirit) November 1, 2019
そのことを1年近く悩んできたが、やっと最近自分なりの結論が出た気がしてる。それは、
「自分に被害がない限り、放っておく」
というもの。
冷たいと思う人も当たり前と思う人もいるかもしれないが、結局他人のことは変えられないから。→
私もこの考えに賛成です。多様性のある社会ではこの「自分に被害がない限り、放っておく」もときには重要かなっと。
今日はそんなお話です。
意見がぴったり合う人はいない
私の周りにもいろんな人がいます。
カルト宗教にハマってる人、二次元にハマってるオタクな人、アイドルにハマってる人も、フェミニズムに傾倒してる人も、ワクチン反対or賛成運動してる人も、ニセ科学と戦ってる人も、幽霊を信じている人も、エロ業界にいる人も、差別主義者も、右な人も左な人もいろいろいます。
そんな中、あえて、ちと不愉快な「私はそうは思わないな」を放っておくのも、一つの技術かなっと思うわけです。
どんな人にも共感できない面はある。例えば、私はジャーナリストの故千葉敦子さんを尊敬していますが、フェミニストでもある彼女の「家族はいらない」という考えには共感しないのでスルーです。
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