デジタル=「画期的な簡易化」のはずが、なぜかどんどん複雑化してしまう日本のお家事情
日本に帰ってくると、1つの商品を選ぶのにも、似たような競合製品が多く、どれを買っていいかわからないーーということが起きます。
以前からなんでなんだろう? と不思議だったのです。
日本の電機産業で「似たような製品が溢れる理由」
日本と米国のTDKで勤務した桂幹さんの「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」(集英社新書)がこのカラクリをうまく教えてくれました。
桂さんは、1990年代から始まったデジタルとはとどのつまり、「画期的な簡易化」だったといいます。
デジタルが進むと「どの会社も同じ商品を作れるようになる」のです。部品点数が減り、材料による差が減っていきました。記録メディアも磁気テープの時代にはグレードが存在したのに、CD-Rでは性能による差別化ができなくなります。
ところが、桂さんによると、日本の場合、参入メーカーが多すぎて、「差別化」をする必要があった。そのため、物を売る人たちは困ってしまったのです。
そこで起きたのが、「多機能化」「高機能化」です。
理由には「雇用を守るため」がありました。
これ、1990年代から2000年代までを取材していた実感としても、本当にそうなんです。
アップルのiPodとソニーの「ネットワークウォークマン」
例えば、2000年代半ばのアップルとソニーです。
アップルがiPodで「画期的な簡易化」に向かったのとは逆に、当時のソニーが対抗として出した初代「ネットワークウォークマン」は高音質を謳ったものの、非常に複雑な製品でした。
Atrac3というソニー独自のファイル形式、さらに「チェックイン」「チェックアウト」という煩雑な著作権管理機能を持ち、ユーザーにそっぽをむかれてしまいます。
私が取材していたデジタルカメラや光ディスクもそうです。東芝が最初に開発したDVDなんて、DVD-RAM、DVD-R、DVD+R、DVD-RW、DVD+RW……など規格が乱立しすぎて意味不明になってしまいます。各社が「自社規格」にこだわったためです(これ作ってたの、ほぼ全てが日本メーカーです)。
デジタルカメラやプリンタはどんどん高画質化し、その競争が激化すると、ユーザーの肉眼ではわからないものが増えてしまいました。
仕方ないので、雑誌の誌面ではルーペで拡大して「ほら拡大すると画質が旧製品よりも上がっています」と記事を作ってました。内心、「これ読者のメリットあるのかな」と思うのですが、そういう自分自身も雑誌が崖っぷちにいることを感じていました。
自分が面白いと思うものを紹介するのは楽しいですが、つまらんと思うものを紹介するのは苦しいのです。
デジタルカメラもパソコンもプリンターも、目では確認できない「差」を追求し始めてしまったように思えました。
デジタルで「簡単」になる海外製品に対して、「複雑」になる国内製品。勝ち目がないと思いました。
日本国内で競争しまくった結果、ユーザーにとってはなんだかわからない機能が並ぶ製品が溢れてしまい、「似たような製品が多すぎて選ぶのが大変」になってしまいました。
この傾向は今も続いています。
会社員の雇用を守るためには仕方ない
結局のところ、「製造業の社員の雇用を守るためには、致し方なかった」という桂さんの説明が、割としっくりくる気がします。
社員が多いから製品が多く、本来差がないものに無理やり差をつけてる。
複雑化するのは、仕方ないのです。
同じことは、今も日本のほぼ全ての産業に言えるんじゃないかな……。
グミの種類が多すぎて驚愕した話は書きましたが、発泡酒もデザートもお菓子もおせんべも種類がありすぎるのは、この辺に原因があると思う。
例えば、教育現場に取材すると「教科書会社の人の雇用をなくせないから、教科書を使い続けるしかない」と言われることがあります。
だから、先生はカリキュラムを終わらせることに必死にならざるを得ないのだそうです。
個別カリキュラムではときに教科書から自由になる必要もあるのですが、それが難しい。
そこへデジタル化やインクルーシブなど、世の中の流れが加わるから忙しくなるのかな……。
書籍も出版点数が増えすぎて、売るのが本当に大変な時代になったようです。
AIの発展で人がいよいよいらなくなると言われますが、「会社員での安定雇用が欲しい」が国民のコンセンサスである以上、製品点数は増えまくって複雑化するーーこの宿命から逃れるのは、難しい気がします。
それではまた。
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