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読書拙想文 『[真珠湾]の日』半藤一利

 半藤氏の著作では、『日本のいちばん長い日』が昨年、役所広司さん・松坂桃李さん主演で映画化されて話題になった。

 私も映画館で見て、DVDも2回借りて見て、都合3回見た。凄く面白い作品だった。それ以前に、本の方も読んでいる。(ちなみに本の方は、陸軍の一部将校が1945年8月14日から15日にかけてクーデターを起こしたいわゆる「宮城事件」の経緯に多くの頁数が割かれているのに対し、映画は鈴木貫太郎に組閣の大命が降下するところから始まり、日本の政府・軍部・昭和天皇がポツダム宣言に如何に向き合い受諾に至ったかの経緯に強いスポットが当たっている。つまりどちらかしか見て(読んで)いない人は絶対両方見て(読んで)欲しい。また新鮮な気持ちで楽しめる)


 この『[真珠湾]の日』は、「1945年8月15日」、つまり「終戦の日」と対になる「開戦の日」、すなわち「1941年12月8日」に迫った作品となっている。日米開戦といえばいわゆる真珠湾攻撃だが、この本では真珠湾攻撃の戦術的なことよりも、より大きく、何故当時の大日本帝国が対英米戦(いわゆる大東亜戦争――作中の言及によると海軍部が「太平洋戦争」という呼称を主張したのに対し、陸軍部は戦争の持つ意義を明らかにする為に「大東亜戦争」の呼称を主張し、そちらが採用されたとのこと)に突入したのかや、有名な「開戦通告の遅滞」「ルーズベルトは真珠湾攻撃を知りながら米国民の憎悪を煽り国是を参戦に持っていくために放置していたという陰謀論」などについて広く当時の関係者の動きや証言について触れた作品となっている。


 日本においては、第二次世界大戦における大日本帝国の立ち位置に対する評価は安定していない。「侵略戦争」だったのか「自衛の為の戦争だったのか」は一家言持つ人の間では喧々諤々の議論が為されている。この拙想文ではそれに触れるつもりはないが、敢えて一言だけ言うのなら「大東亜戦争」における大日本帝国の立場や事情は「日中戦争」と「太平洋戦争」を一緒くたに考えるのは難しいのではないかとは思っている。


 この作中では当時の人々の気分が紹介されている。12月8日を迎えた人々の証言が数多く紹介されている。

 それらは総じて肯定的なものである。厳密にいうなら戦争そのものを肯定しているのではなく、日中戦争この方米国の圧力が強まり日々の生活も苦しくなる中の鬱々とした気持ちに一石を投じた、気晴らしとしての肯定的評価をする人が多かったようだ。

 そういった当時の市井の人々の気分を端的に表した例として、広島の原爆死没者慰霊碑に「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」の碑文を撰文・揮毫した雑賀忠義氏が、開戦の報を知った時に教鞭をとっていた学校の廊下で「万歳!」と一人叫んでいたのを見たというとある教え子の証言も載せられている。


 こうした事例から学ぶべきところは、やはり歴史は「主観的」に捉えることと「客観的」に捉えることの両面で臨む姿勢が必要だということだと思う。

 言うまでもなく、第二次世界大戦で日本は悲劇的な経験をし、多数の犠牲者を出し、その時受けた傷や痛みは今も多くの人を苦しめている。

 であるばかりに、当時の人たちも戦争を憎み、苦しみ、政府の過ちによって悲劇の舵は切られたと思いがちになる。現実はそうではなかった、と当時の証言を交えたこの作品は突き付けてくる。

 「主観的」に捉えると、どうしても善悪で分ける考え方が発生する。だが、情に掉させば流されるの言葉もある通り、歴史から何かを学び取ろうとするとき、「主観的」に捉えるだけでは大事なメッセージを見落とす可能性もあることに注意したい。

 「愚者は経験から学び、智者は歴史から学ぶ」という言葉を、歴史学を勉強した身としては信奉している。歴史からの学び方を誤っては意味がないので、少しでも智者に近付きたいなぁと思う次第である。


またしても、相変わらず、とりとめのない、オチもない文章なのだけれど、自分の読書備忘録という意味も込めての「拙想文」という命名なので、これで備忘録終了と開き直って仕舞いとしたい。

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