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大浦天主堂 Oura Cathedral

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国宝 大浦天主堂を中心に、歴史や境内をエピソードと共にご紹介します。
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#長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

お知らせ|【中世から現代へ、文化が交差するまち、長崎。】

こんにちは。長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターです。 今回は、国土交通省九州地方整備局の九州歴史まちづくりの取り組みとして制作されたWebページのご紹介です。 歴史まちづくり認定を受けた都市のうち、長崎の南山手・東山手地区の重点エリアの歴史的風致についてのWebサイトが制作され、2024年4月に公開されております。 [国土交通省の記者発表ページ] [中世から現代へ、文化が交差するまち、長崎。] バーチャルツアーは、大浦天主堂内をバーチャ

大浦天主堂|観覧ルート #22~26

22.告解室(木製) 信者が自らの罪を司祭に告白し、神にゆるしを得るための場です。告解室、告解部屋などと呼ばれており、カトリック教会における秘跡の一つである「ゆるしの秘跡」のために設けられた部屋です。伝統的に聖堂の中に設けられています。 部屋は司祭と告白者で区切られ、また格子によって仕切られています。 複数の告解室を持つ教会もあります。 プティジャン神父の記録によると、天主堂創建当時、浦上をはじめとする潜伏キリシタンたちは、痛悔(ゆるしの秘跡)についての本を読み、暗唱でき

大浦天主堂|観覧ルート #15~21

大浦天主堂の観覧ルートをイラストと写真でご案内します。案内図の番号は、記事内の見出しの番号に対応しています。 これからご訪問の方は参考にしていただけますし、ご訪問を終えた方には追体験としてたのしんでいただければ嬉しく思います。 番号順に、記事をわけて公開してまいります。 15.大祭壇(主祭壇部) 聖書で語られる神の国は、透き通るクリスタル、色とりどりの宝石類で装飾された城壁に囲まれた都、それらが様々に光輝くイメージをもたらします。 多彩色のガラスで構成されたステンドグラ

大浦天主堂|観覧ルート #8~14

大浦天主堂の観覧ルートをイラストと写真でご案内します。案内図の番号は、記事内の見出しの番号に対応しています。 これからご訪問の方は参考にしていただけますし、ご訪問を終えた方には追体験としてたのしんでいただければ嬉しく思います。 番号順に、記事をわけて公開してまいります。 8.小バシリカ銘板 2016年4月26日、ローマ教皇庁により大浦天主堂は「小バジリカ(Basilica Minor)」の称号を与えられました。 「バシリカ」とは、建築形式を表す他、教皇によって特別な役割

大浦天主堂|観覧ルート #1~7

大浦天主堂の観覧ルートをイラストと写真でご案内します。案内図の番号は、記事内の見出しの番号に対応しています。 これからご訪問の方は参考にしていただけますし、ご訪問を終えた方には追体験としてたのしんでいただければ嬉しく思います。 番号順に、記事をわけて公開してまいります。 1.信徒発見記念碑 1865年3月17日に、大浦天主堂において、プティジャン神父と浦上の潜伏キリシタンたちとが出会った場面が表現されたレリーフです。1965年の信徒発見100周年記念祭の折に製作・設置さ

コラム|大浦天主堂の歴史

大浦天主堂は、パリ外国宣教会のフランス人司祭らによって1864年に創建されたカトリック教会です。 日本の全てのカトリック教会が破壊された禁教令の時代以降、近代における教会建築は、横浜天主堂が先例となりました。横浜天主堂は1906年に旧居留地(山下町)から山手町に移転し、建替えられたため、大浦天主堂は現存する国内最古の教会建築です。 1879年に増改築がおこなわれ、内部、外観ともにゴシック調に統一された現在の姿になりました。1933年に国宝に指定され、1953年には国宝の再指