政治問題をどこまで深堀りするのか、できるのか?
皆様お疲れさまです。
夏季休暇も残り少なくなってまいりました。
もっとも、既に2学期が開始している自治体もあるようなツイートも見られますね。
さて、そんな中、なんとなくツイートでも流れてきたり、自分も気になってツイートしたりもした内容について少し深堀りをしてみようかと思い、久しぶりにnoteでの更新とさせていただきました。
ずばり、アフガニスタン問題です。
まだまだ様々な報道が出続けていますが、大国の影とか思惑めいた報道が少なくない印象を私はもっています。
地理的に、山岳地帯が少なくないから潜伏しやすいとか。
中国の中の新疆ウイグル自治区と距離が近いとか。
敵の敵は見方とか。
いろいろなモノの見方はあるようです。
主義主張に関しては話題としては取り上げませんが、全て西側が正しいわけでもなさそうだとか、中国の政策や思惑など気になることはやっぱりあるよね、という程度にしておこうと思います。
さて、様々な報道がやはりあるわけなのですが、これをどのように判断するのか。
そして、判断するのに必要な材料を適宜入手できるのか。
そういう能力がこれからの時代に求められてくるのではないかと、最近特に感じます。
言ってみれば、情報収集能力・情報判断力・情報選別能力とでもいうのでしょうか。
現代は情報が溢れていて、本当に大切な情報もあれば、取るに足らない些細な情報もたくさんあるわけです。
その中で、自分が欲しい情報にアクセスし、その重要度を判断し、偏りすぎないように注意して自分の行動を決定する。
なかなか難しいことだと思います。
なぜ私が先にこのような話をしたのかというと、○○のこういう思惑がある、△△はこれを懸念しているなどいうのは簡単です。
もちろん、発達段階によっては、視野を広げたり考え方のバリエーションを増やすためにこちらから情報(の可能性)を提示するというタイミングも必要だと思います。
ただし、常にこちら側が提示し続けていたのでは、生徒の成長は見込めないのではないでしょうか。
自分で収集して判断して選択する、その過程を省いて大人(教員側)が提示してしまうわけですから。
最近は世の中の状況がなんとなくキナ臭くなってきているようにも感じますが、今後、生徒が成人する頃にはどうなっているかはわかりません。
さらにキナ臭くなっているかもしれませんし、平和的になっているかもしれません。
気にしなければいけないと思っているのは、こちら側が与える情報が偏ってはいけないということ。
大人の一方的な偏った情報を与え続けるのはそれはそれでマズイと思います。
どのようにして、自分で生きていく力をつけさせるのか。
まだまだ課題もできることも改善点も多いのかもしれません。
生徒にとっては勉強や成績のことが目の前のこととしてどうしてもちらつくことが多いと思いますが、これから先、自分たちが生きていく社会の全貌についても考えておかないといけないと個人的には思っています。
考えておかないといけない、というか、刻々と変化する情勢に対して判断する力とでもいえばいいでしょうか。
現代人は歩みを止めたら置いてけぼりになりそうですね‥
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