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知識の絶対量は多い方がいい

昨日の記事は、「隣接校種の教育過程間のつながりは知っておいたほうがいい」というようなものでした。

例えば以下のようなお話(昨日の引用)

「小学校で酸性・アルカリ性ってやってきたと思うんだけど、実は中学校でイオンを勉強すると、酸性とアルカリ性の正体がわかってしまうんだよね。更に、みんなが知ってるpHって、このイオンの数が10倍になると1ずつ変わるんだ。詳しい計算は高校2年生でやることになるんだけどね。」

ところが、これって意外と難易度が低くはなくて、小学校の先生なら中学校の全教科の、中学校の先生なら自分の科目の高校の内容くらいは知っていたほうがいいですよね、ということにつながるからです。

理屈の上では、中学校の内容までは義務教育だしできるよね、高校の内容は、(一応)大学でやってるはずだよね、あと自治体によっては「中高両方の免許をもっていないと採用しないよ」というところも多いと思います。

2校目の同僚も、「やっぱりそれぞれの校種の1つ上の過程まではちゃんとわかってないと(特に進学校の私立は)苦しいよ。高校の数学を教えようと思ったら、大学レベルの内容がある程度(少なくとも自分の専門のところは)わかってないと恥ずかしくて生徒の前に立てないよ。」と言っていました。

これと似たような経験を初任の時に味わったのを思い出しました。

公立中学校で、初任の同期で国語の女性の先生がいました。

中2の古文で、たしか「反実仮想の助動詞『まし』」の扱いについて、指導教官のベテランの先生と揉めていたんです。

指導教官は、初任の同期の解釈を「私は違うと思う。もっとこことことについて具体的に調べたり研究してごらん。」と突き返していました。

ここまでは日中のお話(授業の空き時間とか)。

その日の夜20時過ぎ、同期の初任は指導教官の悪口をぶちまけていました。

彼女の学年の学年主任や、その時間まで残っていた同僚に、「古文の解釈で困っているから指導教官に相談したのに、何にも教えてくれない!」と。

周りに残っていた同僚の先生たちは、その初任の先生の味方をしました。

「あなたの指導教官はああいう人だから」と少し人格否定のような発言をしている人もいました。

職員室の空気も悪くなったし、私は納得がいかなかったので同期の先生に「どの文章の解釈ですか?」と聞きに行きました。

で、何をしたかというと、彼女の前でその文章は品詞分解して解説しちゃいました(笑)

「これ名詞からの連体形接続の○○で、そっからこれにつながって△△の未然形からのましで接続も全部説明つきますよね?」と。

教材の文章が何だったかは忘れましたけど、同期の先生は、古文の助動詞の接続とか活用とか、イマイチわかっていないレベルだった結果として解釈が曖昧になっていたのです。

一応断って起きますが、私は「理科(と数学)」の先生です。

でも、センター試験は国立理系志望として5教科7科目対策したので、古文だってめちゃくちゃ苦労したけど、やるにはやりました(余計なことですが、同期は大東亜帝国のどれか出身)。

だから解釈だってある意味普通の内容でした。

私には、彼女の指導教官が「もっとちゃんと勉強しろ」って言いたかったんだな、というのが痛いほど伝わってきたのです。

余計なお世話を焼きましたが、自分の知識不足を棚に上げて、自分の指導教官を批判し、同僚を巻き込んでいたのが私はイヤでした。

ちなみに、その同期の指導教官の方は、翌年に私の学年主任になるのですが、その話はいずれまた。

というわけで、本日の内容はここまで。

1つ上の校種の内容が知識としてあると、自分が教える内容も変わってくるかもしれませんよ!

つながりを明確に意識して授業ができるので、授業のゴールが教える我々側も明確になります!

まぁ、私が所詮理科の先生で、高校の数学の先生になりきれない理由でもありますけどね!

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