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道徳性発達の6段階

写真は杉原千畝記念館HPより
※本文は「現代ビジネス」原田隆之 筑波大教授の記事を参考にしている。

アメリカの心理学者のコールバーグは、道徳性の発達について、6つの段階に分けて説明している。

(1)罰の回避と服従の段階
(2)相対主義的な利益を志向する段階
(3)同調し「よい子」を志向する段階
(4)既存の法と秩序そのものを尊重する段階
(5)合意や契約によって変更可能なものとして法や秩序を遵守する段階
(6)一人ひとりの人間の尊厳の尊重といった普遍的倫理原則を志向する段階

小さな子どもは誰しも、親や大人に叱られたり、罰を受けたりすることがないように行動する。それが、子どもの道徳性である(第1段階)。

しかし、成長に伴って、より打算的になる。「相手が自分にとってよいことをしてくれれば、自分もよいことをしてあげる」という相互主義的なルールに従って行動する。一見、公正であるように見えても、自己中心的な道徳性である(第2段階)。

その後、仲間集団など、自分が準拠する集団のルールに同調し、「よい子」「よいメンバー」として振る舞うことが道徳的だと思うようになる。これも一見、「よい子」には見えても、拡大された自己中心性にすぎず、より大きな社会のルールや規範を無視してしまうこともある(第3段階)。

もっと成長すれば、自分や自分の属する小さな集団の利益ばかりを追求することが「よいこと」なのではなく、社会の法や規範を守ることが道徳的なのだと言うことを理解し、そのように振る舞うことができるようになる(第4段階)。

さらに進んだ段階として、権威から押し付けられた法や社会規範が絶対なのではなく、社会にはさまざまな価値があり、それを守るために合意によってルールを変更すべきだという柔軟な道徳性を持つに至る。われわれがルールに仕えるのではなく、自分たちのためにルールはあるということを理解できる段階である(第5段階)。

そして、最もレベルの高い道徳性は、普遍的価値、倫理的原理に従った行為が正しい行為だととらえる段階であり、法を超えてでも「正しい行い」をすることができる。ときには、その社会や時代には理解されず、後世になってその偉業が称えられることもある(第6段階)。


 国の道徳教育は、疑問を持たずにルールに従う第4段階を目指しているが、我々教師が目指すべき到達点は第5段階にあると考える。そのためにはまず我々教師が第5段階を目指し、そういった視点から子どもたちを見ていくことが大切である。

※第6段階はキング牧師や杉原千畝といった偉人レベル。
 今でこそ杉原千畝は評価されているが、権力に逆らったことで当時はパワハラを受け、左遷されている。道徳の教科書に登場する千畝であるが、千畝のように権力に逆らって、自分が本当に正しいと思う行動をとれる教師はどのくらいいるのだろう。

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