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道徳教育がヤバイと気づいた人、これからどうする?

①道徳教科化の歴史を知る。知らせる。

 多くの教師が、内心では道徳教科化に違和感を覚えているが職員室は無風である。その理由は「波風を立てたくない」という意識と「そもそもよく知らない」ので思考停止していることにあり、「道徳教科化が必要」だと思っているワケではない。そのような人たちに道徳教科化の不純な動機と歴史を知らせることが肝要である。

②指導要領をよく読む。

 指導書(教師用授業マニュアル)は指導要領に忖度して作られているので、徳目を押し付けるような授業展開になっている。しかし指導要領(この場合は『解説』の方)そのものは、あからさまに憲法違反の文言にするわけにはいかないので、比較的裁量の余地が残されている。

「多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、自立した個人として」P13
「指導をどのように行うのかは、授業者の意図や工夫による」P15
「これらの内容項目は、生徒自らが道徳性を養うための手掛かりとなる」P19
「実態に応じた指導をしていくことが大切」P19
「画一的な方法を採ることなく、生徒一人一人を考慮し、多面的に」P21
「必ずしも各内容項目を一つずつ主題として設定しなければならないということではない。」P21
「内容項目を熟知した上で、各学校の実態、特に生徒の実態に即して」P21

 自分のやりたい授業展開をつくり、これらの文言と授業の整合性をとっていけば、「指導要領に沿っている」という体裁を取りつつ、子どもたちのための授業を作ることも可能である。現状では、教師自身が「この題材でこの価値観に導かなければ…」と指導要領に縛られている。しかし指導要領による縛りを打破する鍵は、指導要領(解説)そのものをよく読むことである。

③考え、議論する道徳を行う。

 文科省が推奨する「考え、議論する道徳」をどんどん行う。本気で考え、議論していけば、姑息に考え抜かれた道徳的価値観の枠を必ずはみ出す。子どもたちは、自分の頭で考え、自分の言葉で語りたいのだ。教師は、それができる環境を整え、チョンと背中を押してやればいい。
 とはいえ、教師自身が「奴隷的精神」に縛られたまま、指導要領や教委のマニュアルから抜け出さなければ、いい授業はできない。自分の頭で考え、自分の言葉で語れない教師が、自分の頭で考え、自分の言葉で語れる子どもを育てられるはずがない。「考え、議論する」子どもを育てたいのであれば、まずは教師が「考え、議論する」大人でなければならない。

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