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道徳の授業はなぜツマラナイのか?

道徳の教科書はツマラナイ

 道徳教科書(教科化されたので『教科書』とよぶ)の内容は徳目的で、最初から答えが分かっている。「あいさつをしよう」「いじめはいけない」「周りに迷惑をかけてはいけない」等々。

 少なくない先生が道徳の授業を負担に感じている。それはツマラナイからだ。先生がツマラナイのだから、生徒も面白いはずがない。そして多くの先生は「ツマラナイのは自分の力が足りないからだ」と考える。
 先生になる人は、先生の話を真面目に聞く生徒だった人が多い。そして、先生になってからも管理職や指導主事の話を真面目に聞く。

当たり前を疑う

 ところで、「管理職や指導主事は子どもたちの心に響く道徳の授業をしてきたのだろうか?」「そもそも、先生の言葉が心に響いて道徳的な子どもになることは本当にいいことなのだろうか?」「道徳の授業をしなければならない、という仕組みそのものに問題があるのではないか?」という風に、責任を転嫁して考えてみる。
 「自分は生徒の心に響く授業をしている。道徳の授業はちゃんとやるべきだ。」と考える人も、視点を変えてみることで、新たな発見があるかもしれない。

道徳教育の歴史

明治時代初期…「富国強兵」のスローガンのもと、経済を発展させ、強い国を作るために欧米の知識を積極的に取り入れた。すると知識人の間に欧米の人権思想が広まり、自由民権運動へと発展した。
明治時代中期以降…自由民権運動を弾圧。「修身」を教育の中心に据え、1890年には「教育勅語」を発布。1945年の終戦までこれが教育の根本原理とされた。
大正~昭和… 第一次大戦後、世界的に民主主義と平和を求める動きが起こり、日本の教育にも、大正デモクラシーの中で一部民主的な動きがみられた。しかし、その後の恐慌と戦争によって、より国家主義的な教育へと進んでいった。

戦後(学習指導要領の変遷)
1947年… 教育基本法制定。戦前の教育が否定され、「修身」は廃止。
1951年… 『逆コース』の流れの中、初の学習指導要領(試案)が登場。指導要領の中身もまだ民主的なものであり、強制力もなかった。道徳は、学校教育のあらゆる機会に指導すべきである、とされた。
1958年… 『逆コース』の流れが本格化する中、指導要領から「試案」の表記が消え、法的拘束力をもつと解釈される。週1回の「道徳」を新設。

1968年… 教える内容の増加。⇒ 「詰め込み教育」「落ちこぼれ」
1977年… 「ゆとりの時間」を新設。
1989年… 週5日制の導入。
1998年… 「総合的な学習の時間」を新設。
2006年… 教育基本法改訂
教育を「個人の価値を尊ぶ」「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し、直接に責任を負って行われる」ものから、「公共の精神」「道徳心」「国を愛する態度」「規律を重んじること」を重視するものへと変貌させ、教育は「国と地方公共団体の下に行われなければならない」とした。

2008年… 脱ゆとり教育
2017年… 育成すべき資質・能力の明確化。道徳教科化。

 歴史をたどると、「道徳」は「修身」の復活に他ならないことは明らかである。


指導要領絶対主義

 我々には、国民として、そして教育公務員として法律に従う義務がある。しかし、法律よりも効力の強いものが2つある。国際的な条約と日本国憲法である。

学習指導要領<学校教育法施行規則<学校教育法<教育基本法<国際条約≦日本国憲法

 指導要領は告示であり、法律ではない。当然、国際条約や憲法より下位の概念である。しかし実際の学校現場においては、憲法や子どもの権利条約よりも、学習指導要領が重視される。

 教育委員会の指導主事が、「国や県の教育指針に沿った学校経営がなされているか」「指導要領に沿った授業が行われているか」をチェックし、上意下達の研修が行われる。そして教師側が「強制されている」という自覚を持たないまま、政府の望む教育方針に「自主的に」向かっていくような教育行政が行われている。
 「子どものためになっているか」ではなく、「指導要領に沿っているか」が最重視される。道徳授業に何とも言えない気持ち悪さを感じる原因はそこにあると考えている。

 本来教師は純粋に「子どものため」の授業がしたいのに、いつの間にか「権力機関のため」の授業をさせられているから、気持ちが悪いのである。そして、その本質に気づかずにいると、その状態が当たり前となり、一人一人の教師が「権力の意向に沿った教育」に疑問を持たなくなってしまう。これが一番恐ろしい。
 

 「道徳心」は大切だ。しかし、政府が決めた正解に向け、生徒の内心を誘導していくことは憲法違反である。公務員は憲法違反をしてはいけない。

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