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税所篤快さんに聞きました!『未来の学校のつくりかた』はどうやって生まれたのか?

こんにちは、はにわ情報局です。

先日、「未来の学校のつくりかた」が発売となりました!そこで、税所さん自身についてや本の魅力についてもっと知っていただきたいと思い、出版記念インタビューをしました。このインタビューを読んでいただき、税所さん、そして本の魅力が少しでも伝わりましたらとても嬉しいです。

NPOの立ち上げ、そして連載をはじめるまで。

ーーはじめましての方もいらっしゃると思いますので、自己紹介をお願いします。

税所さん:税所篤快(さいしょあつよし)です。e-Educationのことから話そうかな。19歳のときに「グラミン銀行を知っていますか」という本に出会い、ちょうど失恋したタイミングでもあって、その本に魅せられたんです。著者の秋田大学の坪井ひろみ先生を訪ねて話をうかがったところ、とてもおもしろそうで。当時は大学2年生で、その仲間とバングラデシュを訪ねていくというところから、e-Educationの物語ははじまるんですね。

3人の仲間と、バングラデシュのグラミン銀行に行って、あれよあれよとインターンとして働くことになったんです。バングラデシュの村人たちにインタビューをするのが仕事で、それを通じて村人が困っていることや願いを聞いていたんです。そうしたらそこで、村の学校の先生たちが足りていないという話を聞きまして。それが、e-Educationをやりたいと思ったきっかけです。先生不足を解決するために、高校生のときに通っていた塾のDVDで授業を行うというモデルを参考に、プロジェクトとして行ったのがe-Educationとなりました。

ーーそれを、大学二年生からとは、凄まじい行動力ですね。大学卒業後は何をされていたんですか?

税所さん:そうですね…そもそも僕、大学に7年間いたので。しかも学部ですよ。2年は、休学していました。バングラデシュでのプロジェクトを行っていたハムチャー村から、難関大学に合格する子が毎年出るようになったんです。それが注目され、アメリカの世界銀行でも表彰されました。このプロジェクトを世界中に広めていこう!とやっていたら、7年も経っちゃったんですよね。最後は、僕の経営方針が適当すぎる、ということでクビになっちゃったんですけどね(笑)

ーークビになってからは、何をされていたんですか?

税所さん:しばらくブラブラしていたのですが、アフリカのソマリランドという未承認国家で、僕を殺したいという方が現れまして。その人から逃げるようにイギリスに避難してロンドン大学で教育を専攻し、学生をしていました。でも、あまりにも英語ができなさすぎて、近場のオランダに脱出したんです。そこで、イエナプランを研究されているリヒテルズ直子さんに出会いました。勉強が足りないということを、とにかく言われましたね。

当時、ロンドンで暮らしていると、冬は寒いし、お金もなく…日本にいる彼女が恋しくなり、授業をさぼって帰国するようになりました。つらくなってしまったので、日本に帰国するもっともらしい理由を探していたら、スタディサプリというものを運営している会社がありまして。そして、帰国するなら、何かちゃんとした連載を始めたいなと思って月刊誌『教職研修』の岡本さん(「未来の学校のつくりかた」の連載で、共に取材をした小社編集長)に連絡をしたんです。

僕は20歳から25歳まで海外の学校を渡り歩いていたのですが、日本の学校のことがよくわからず、どうなっているのかと興味があったんですよね。そういうネタで連載をしたいと岡本さんに話したら、企画を通してくれたんです!連載をするとなったときに、ちょうど木村先生の映画「みんなの学校」を見て、そこから4年半の連載が始まりました。

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「未来の学校のつくりかた」は、小誌「教職研修」の連載を一冊の本にまとめたもので、こんなきっかけがあったとは、驚きです。次に、「未来の学校のつくりかた」のなかでも読者に読んでほしい部分について、うかがいました。

第5章の大槌は一番読んでほしいから、本当は最初に置きたかった。

税所さん:第5章の「大槌の教育復興」ですね。僕が18才のときに出会った、早稲田大学の一個上の、先輩の菅野裕太さんが主役の章なんですよね。一番付き合いの長い友人の1人なんです。彼の動きをこの10年ずっと見てきたなかで、彼ほど自分の仕事を地道に、こつこつやられている人はなかなかいないと思っていて。決して目立つ華々しい仕事ではないけれど、教育を縁の下から支え続ける、重要な役割をもくもくとやられているのを見て、彼を主役に書きました。彼のストーリーを、みんなに読んでもらうことは僕の一つの夢だったんですよね。

でも、大槌について書きたいとは思っていたものの、書くことが難しいテーマでもありました。震災のことを、部外者の僕がどれくらい書いていいのかとか。この連載が3年くらい経ったとき、連載としても脂がのってきたし、そろそろ大槌にいく時が来たのではないかと思いました。大槌は、いつも人生がうまくいっていないときに訪れる場所で、彼から新たな気づきをもらったりしています。

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お話を聞いていて、次に第5章を読むときはまた違った印象になるなと思い、読むのが楽しみになりました。インタビューが後半に差し掛かったところで、税所さんが私に「読んでみてどうでした?」と質問してくれました。

ーー文の書き方に人柄がにじみ出ているのと、まるで税所さんと一緒に冒険をしているように感じるのが印象的でした。

税所さん:僕は興味のあることしか書けないので、尖った文章になってしまうんです。だから、どうしても情緒的で荒削りな文章になってしまい、取りこぼす事実が多くなってしまいます。でも、文を編集してくれた西山さんが尖った部分は突き抜けたままなんだけど、取りこぼしのないようきちんと肉付けしてくれたので、尖った文章がより多くの人に届くものに仕上がったと思います。

僕、自分の本について語るのは照れちゃうんですよね。覚えてます?苫野先生とのイベントで僕が一番力強く話していたのって、中川龍太郎作品のことと、映画「タゴール・ソングス」についての部分なんですよね。人のことだと力が出るんです。

いまこうやって動けているのは、大阪の中学校教員の徳留宏紀先生との出会いが大きかったんですよ。彼は「この本をいろんな人に勧めたい」と言ってくださっているんです。先日出版記念として行った、木村先生とのイベントでも徳留さんに司会をお願いしたのですが、とても楽しそうな彼の様子を見て、他の登場人物とも会わせたいなと思ったんです。僕も、登場人物のみなさんと会えるのが2周目なので、とても楽しいですね。

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自分の本について語るのは照れてしまう、という税所さん。イベントでもゲストの方を立て、相手の話にじっと耳を傾けられている姿が印象的ですが、ご自分のことをあまり語らないというのは、この理由があるのかもしれませんね。次に、本を書くにあたって、はじめにとおわりにを書くのに苦戦したという話をお聞きしました。

本が完成したのは、宮崎さんのおかげです。

税所さん:ジブリが出版している「熱風」という小冊子があるのですが、その中に「希望を語る教師」と「とにかく勇気をもって生きよう」というキーワードが出てくるのですが、それは宮崎さんの文章からいただいた言葉なんですよね。この言葉は、イギリスのロバート・ウェストールという作家であり、教師でもあった方について書かれた記事にある言葉なんです。はじめにとおわりにが、書けなくて困っていたのですが、そんなときに「熱風」を読んで、「未来の学校のつくりかた」は、「希望を語る教師」の物語だなって気づいたんです。それで、はじめにとおわりにが書けました。この本が完成したのは宮崎さんのおかげですって、お手紙も送ろうと思っているんです。

ーー書けなかった理由をうかがってもいいですか?

税所さん:この本に登場する人物がすごい人たちなので、「どう書くよ…おれはすごくないんだけどな」って。そしたら自分は大したことないから、自分は大したことないんですって書けばいいのかって、宮崎さんの文章に背中を押されたんですよね。

「インタビューの時間も、もう迫ってきていると思うので…」という税所さん。最後に、今回のインタビューの中でも一番いきいきとした表情で、中川龍太郎作品と、映画「タゴール・ソングス」について語ってくれました。

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税所さん:中川龍太郎という僕と同い年で30歳の、映画監督がいまして。作品としては、現代版魔女の宅急便と言われている「わたしは光をにぎっている」そして、「四月の永い夢」ですね。これは国立を舞台にした、挫折した先生の話なんです。とにかく、作品を見ていただきたいですね。同い年で、ここまで物語をつくれることへの嫉妬、羨望、悔しさ、尊敬、愛情…入り混じった感情ですね。だから応援したいし、盛り上げたいし、加勢したいんです。中川さんの勢いの、一助になりたいと思っています。

次に「タゴール・ソングス」についてなのですが、監督の佐々木美佳さんは1994年生まれなんですよ。彼女が東インドのコルカタ地方をまわって作られた映画です。タゴールというのは昔、ノーベル文学賞をとった詩人なんです。ベンガル人にえらく愛されている詩人で、この詩人がいかに人々に愛されているかということを、彼女なりの目線で一つ一つ追って行くロードムービーなんですよ。これは、応援しないといけない同世代の才能だなと、痺れましたね。zoomトークも実現しましたので、ぜひ参加してくださいね。

ご自分の著書についてよりも、中川龍太郎さんと佐々木美佳さんについて熱く語ってくれた税所さん。あれれ、税所さんについてのインタビューのはずが…と戸惑っていたところ、最後にこんな言葉をいただきました。

税所さん:これが、税所篤快なんです。次の好奇心、次の表現へと今も向かっていて、その探究をやりきることが、僕の「未来の学校のつくりかた」なんです。


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