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PLAN 75を笑い飛ばす世界でありたい

皆様こんにちは。先日TLで「PLAN 75」なる映画の話題が流れてきました。全くノーマークだったので、カンヌを取ったとか言われたのでヨーロッパの著名な監督が撮った作品なのかなと調べてみると邦画だったのでびっくりしました。幸い近場の映画館(イオンシネマ)でやってることがわかったので、実際見に行ってみることに。

観に行ってきた当時のこと。平日朝の割に館内はそれなりに埋まっていることに驚く。そして9割がご年配の人たちでしたね。やっぱ倍賞千恵子さんは集客力あるんだなあと思いました。あれ、でもこれ安楽死の話じゃなかったっけ、身につまされそうで嫌にならんかな、いやだからこそ気になってしまうのかな、とか思いながら映画が始まりました。

夫と死別してひとりで慎ましく暮らす、角谷ミチ(倍賞千恵子)は78歳。ある日、高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇される。住む場所をも失いそうになった彼女は<プラン75>の申請を検討し始める。一方、市役所の<プラン75>の申請窓口で働くヒロム、死を選んだお年寄りに“その日”が来る直前までサポートするコールセンタースタッフの瑶子(河合優実)は、このシステムの存在に強い疑問を抱いていく。また、フィリピンから単身来日した介護職のマリア(ステファニー・アリアン)は幼い娘の手術費用を稼ぐため、より高給の<プラン75>関連施設に転職。利用者の遺品処理など、複雑な思いを抱えて作業に勤しむ日々を送る。
果たして、<プラン75>に翻弄される人々が最後に見出した答えとは―――。

PLAN75 公式ホームページより

公式からのあらすじを拝借しました。プラン75、この国の未来のために、貴方の愛するお孫さんのために、75歳以上の貴方の安楽死を推奨します。勿論強制力はありません、皆様の任意で大丈夫です。参加していただける方には支度金(10万円)もご用意します。相談窓口も用意しますし定期的にコールセンターからご相談も伺います、火葬代も我々が用意する集団火葬でしたら無料でご提供しますよ、といったシステムです。可愛い孫のために、国が推奨してるなら、国会で決まったし、みんなしてるから……と、表向きにはこういった一つの提案として受け入れられています。が、一方で75歳以上の高齢者は新しい仕事を見つけるのが非常に困難、ハローワークにいっても高齢で弾かれるのか募集欄が0の数字しかでてこない。そして併設されているプラン75の窓口、「最期は自分で決めたくて。」と笑顔で話す老婦人のCMが流れています。新しい部屋を探そうにも年配の人に貸してくれる部屋もない、あっても2年先までの家賃を振り込んでほしいと条件付き、無論そんな手持ちはない。じゃあ最悪ホームレスしてやる…と思っても、賢い行政は「みんな」が安心して使える公園のためにベンチにどれがいいかなあと横になれないブロックをアレヤコレヤと選んでいます。炊き出しのサービスもありますが、セーフティネットの会場と一緒にある「プラン75」の登り。頼りにしたい家族に電話してもなぜか繋がらない、目に見えない閉塞感が主人公の老婆を襲うのか、結局自らプラン75に参加するように……。

結末については省きますが、まず10万円の支度金安すぎやないかと見てて思いました。貴方の残りの人生は10万だからこれで手切れ金ね、という事にしか見れなかったのだけど、劇中のお婆さんはありがとうございますって言ったりコールセンターの子に、そのお金で特上ずし頼んじゃったとか嬉々と話したりこっそりその子とあってこれ今日のお礼って支度金からお金出したり(パパ活やん!)と、心が疲弊してるのかなあと思いましたが、疲弊してなかったら自分から自死を望んたりしませんよね。


あとプラン75が75歳以上から安楽死対象になるってのも絶妙な年齢だなって思いました。こんな法案通ったら暴動おきないのかなあとか思ったり、実際プラン75のコマーシャル流してるTVの電源引っこ抜いたり、職員がプラン75の看板近くで作業してるとトマトか泥だんごかが投げられてくるという本当に小さな妨害はあるのですが、ただそれだけで終わって根本的な是正に動いたりする描写はないのですね。妨害する人も顔は映らない=姿の見えない市民みたいな演出だったのでしょうか。75歳だと暴れる気力も立ち上がる力もないのでしょうね…。劇中ではいずれプラン65,60と引き下げる案も議論中みたいな事言ってましたが、さすがにそこらへんはまだ元気だから暴れ始めそうだけどどうなのかな。「お上には逆らわない」が信条の日本人だと受け入れちゃうのかな……。「みんな」に迷惑がかかるものね。

うーん、でもやっぱなまじ近未来というか、それこそ5年後に始まってもおかしくない世界だからか、あまりにも短縮的な物語だなあと思います。たしかに75歳にでもなれば肉体は老いると思いますが、心は元気なおじいちゃんおばあちゃんいっぱいいるし。いやそういうゆとりのある人ではなくて孤独な人たちが主人公なんだよってのはわかるのだけど、そういう人達が集まって集団になれば前向きな思考になったり、戦ってやるぞって意識に向くはず。コールセンターの人も主人公と通じて、やっぱこの制度おかしくないかって疑念を抱いたと思うし。こち亀の両さんじゃないけど短縮的じゃなくて、上から国から何言われようが生きてやる!って反骨精神みたいな描写がほしかったなあ。オチが僅かながらそういう方向性だったけど、個人的には職員ぶっ飛ばしてお縄になってでも生き残ったぜと高笑いするくらいの話のほうが好きかなあ…なんて思いますね。

何回もみたことあるコマだけど結局これだと思う

やはり暴力、暴力はすべてを解決する…!ってのはそれはそれで問題だけど、命令されたり圧をかけられたからそうします、なんてのもアホらしいと思うので後ろ指さされようがハミダシモノだろうが生きてやる、何も生み出せない、何者にもなれなくても生きるって意志は阻害できないから自分が納得できるまで生きて、それの最期が道端で野垂れ死になってもその方がいいんじゃないかなあ…と思いました。ツイッターとかブログとかでこの映画の感想漁ると神妙な顔して、目の前まで来ているとか私も利用しちゃうかも…みたいな感想が多いのでなんかもうちょっと拳を上げる姿勢も大事だと思いますね。

あともう一つ気になるのは、結局死にたいって思うのは老人だけどその制度を作ったのは別として、スタッフとして関わるのは若い公務員だったり派遣のオペレーターだったり、出稼ぎにきた外国人労働者だったりと、金銭的だったり組織としての弱い立場の人間におっ被せてるのが、どっちかというとこっちの世代の自分としては見ていてムカついたかなあと。お金がなくなったから今度は命のやり取りの業まで、若い世代に押し付けるの本当やめろよって思いましたね。一番役職高そうな人も公務員の人の上司位しかでてこないし、倒すべき敵みたいなのが不透明で閉塞感を漂わせるのも、その作品の導線だとは思いますけどね。

まとめると創作物なんでそりゃそうなんですが、意地の悪いおとぎ話というか、映画ジョーカーで最後のアーサーの話を不穏な顔で聞いてる精神科医みたいな人になるんじゃなくて、バカバカしいと一蹴して人間そんなに弱くねえよって思うのがいい見方じゃないかなあと思いました。自分がガキの頃に、世にも奇妙な物語で大人がどんどん不要になって、最終的に5歳位の子達が政府のトップになるみたいな話があった(うろ覚え)ので、それ思い出しながら見てたのが良くなかったのかも知れませんが。まあでも、万が一尊厳死からの安楽死じゃなくて、不要論からの廃棄処分な安楽死の未来にならないように、それ認めちゃうと某介護施設で大量殺人した彼の思想と何も変わらないですし、「頼まなくなって生きてやる!」の精神であらがっていくのも大事だなと改めて思わせる意味ではいい映画だと思いました。


次なにみたいかな、原作よんだことのあるビリーバーズが気になるかな、奇しくもこっちにも磯村勇斗くん出てるし。でも山本直樹氏の世界観どこまで再現できるかなあ、という不安もあったりw セッ!!するのかな…(そこかよ)

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