希死念慮と車のヘッドライト

希死念慮って誰にでもあるものだと思ってたけど違うのかなぁ。

特に私は、暗い気分っていうのは分かっているけど思考力が停止している時。

雨の日や暗い夜道を歩いていたら、車のヘッドライトがとてつもなく綺麗に見えてそれに吸い寄せられるように車に寄っていっている時があって、ギリギリになってはっと我に返って歩道に戻る。

その時に「あぁ、無意識に死にたいと思っていたのかな」と感じる。

これも希死念慮のひとつだろうか。

(覚せい剤などしている訳では無いです)


自分は自分の心しか分からないからあれだけど、そんな毎日死にたいと思ってるわけではないけど、死んでもいいなぁ、あの時あのまま死にたかったなぁとか思うことは多々あるわけで……。

人には誰しも暗い部分はあるから、希死念慮を悪いことのように言ったり自慢げに言うのもなんだか違う気がする……。

そういえば、この前書いたnoteには書いてなかったけど、首吊ろうとして飼ってる犬に吠えられてやめたり、ハイターを飲んでみたけど翌日尋常じゃなく体がだるくなっただけだったこともあったなぁ。笑

今となっては苦笑いの思い出たち。

以前実家に帰ったとき、今では何もなかったかのように仲良くしている振りをしている母親から、「あなた、高校生の頃は病んでたんやろうね」と言われて腸が煮えくり返るかと思った。

あなたの幼稚園の頃からの言葉が暴力がどれほどのものになって振り積もっているか教えてやりたい。

まあ、やってた側からしたら本当にそんなものだったんだろう。

コチラは一生ものの傷になり、生きづらさを感じる社会的弱者になりたくもないのになりかけているけど。

つくづく残念な星の元に生まれたと思う。

仕方ない。

残念は星に生まれてしまったからにはそれを存分にネタにして生きるよりほかない。

この前も言ったように、まだ神様からも私は死ぬことを許されていないようだし。

これからもきっと苦しみを味わって、それをまたどこかでネタのようにして生きていくのだろう。

今日は本当はこれじゃなくて、暴力より言葉のほうがあとから残るってことを書きたかったけど、さっきアイスを買いに夜道を歩いていてふと思ったので今日はこれで。

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