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恋をして初めて気付いた虐待の後遺症

最近というかここ半年くらい、何もないのにご飯を食べたあとに急にお腹を壊すことが増えた。

もしかして例の過敏性ナンタラカンタラかと思うこともあるが、色々検査するお金もないので仕方ない。

恐らく、自分が抱えている「虐待」の問題に対して解決をしない限りこれは続く気がする。悲しいものだ。まあ、今更そんなことに悩む頭ではないので放置しておくことにする。早死は割と望んでいるところだから。


さて、今日は少しだけ、自分が「虐待」について考え始めた経路を。

そもそも誰にも話したことがないので「虐待」と言っていいのかの判断すらついていないが、分かりやすくここでは「虐待」と言おう。

(「虐待」についてざっくり言うと母親から幼稚園から高校まで毎日様々な言葉の暴力と、失神するまで叩く殴る蹴る首を絞める頭を噛まれるなど書ききれないほど色々されていました。私の家庭は、父親は小6から週末に時々帰ってくる単身赴任と母親がいます。父親の収入も安定しており、全員外面が良かったため傍から見れば普通の家庭です)


大学3年生になって初めて、まともに告白をされて付き合った。それまで周りについてくる異性が容姿のおかげでロリコンしかおらず、煙を巻いて逃げていたが、初めて「きらいではない」という人から告白をされた。

この人は、通称「憂鬱な知り合い」と私の心の中で呼ばれるようになる。

言いたいことは色々あるが、「付き合って」と言われた以外、ひとつも愛情表現の言葉を言ってくれないまま、感情も表情に出ず、スキンシップだけはすごく図るのだ。

(スキンシップは身体同士の関係ではなく、永遠に手を繋ぐ、後ろから抱き締められるなど)

2年ほど一緒に働いていたバイト先の先輩だから、口下手なのは知っていた。

私も私で、人をなかなか心から信用できず、虐待のことなど自分が恐れているものや本心を誰にも話したこともなく、1部の自分をだけを人に応じて見せながら、ある程度の節目ごとに自然に縁を切っていた。

ちなみに、前に自分の人への信頼に不自然さを覚えてネット診断した愛着障害診断がこちら↓↓↓

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初めは、なんとか心を開いてみよう、いつか自分が恐れている心の中を話してみようと必死だったが、あまりにも何も言葉にしない「憂鬱な知り合い」に、次第に何を考えているか分からない恐ろしさを感じていた。

そしてそれは、元々相手からのスキンシップに敏感だった私をさらに過敏にさせ、いつ何をされるか分からない恐怖へと導いた。

時には、デートの直後に、途中でバスを2度も降りるほどの腹痛や過呼吸に襲われた。

(彼には何も言えなかったが)


なぜだろう、なぜだろう。

なぜ自分は人を愛せないんだろう。言葉にも何もしないけれど想ってくれているのは分かるのに。なぜ、それを恐怖と感じてしまうのだろう。

毎日毎日、自問自答を繰り返しているうちに、この恐怖が、毎日学校から家に帰り母親に会うまでの恐怖と似ていることに気付いた。

そこで初めて虐待の恐ろしさを感じたのだ。

家から逃げたら終わると思っていた。だからやりたくもない苦手な勉強を必死にやって、実家から遠い親が何とか許す偏差値の大学に合格した。

それなのに……。

あぁ、虐待は終わっていなかった。

むしろ後遺症に苦しむこれからが始まりなのかもしれない……と。

恋愛すらまともにさせて貰えないのかと。

その後、お金が無いながらも、1度だけオンラインで心理カウンセラーとお話してわかったことなどはまた次回。

(憂鬱な知り合いとは既に別れています)



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