見出し画像

湖北、観音の里は春

早くも、桜吹雪に包まれた京都を離れ、JR琵琶湖線で湖北へと向かう。車窓の景色は湖北にだんだんと近づくにつれ、まるで季節が逆戻りしていくよう。京都に比べて、湖北はおよそ1週間程桜の開花が遅いとのこと。
季節を行ったり来たりする生活も、桜を2倍楽しめると思うと、悪くないものです。

伊吹山の山頂付近には、今朝もうっすらと雪。
近所の日吉神社の桜も満開を迎えていた。

ふと思い立って、隣町へ“観音の里”として有名な高月町まで自転車を走らせた。
途中、桜狩(サクラハント)を楽しみながら。

家から、およそ15分くらいかかって、穏やかな集落へと着いた。
古墳だろうか、こんもりとした丘が集落を見守るように後ろにそびえている。山の端、田畑のいたるところで芽吹いた春。
集落の隙間を縫うように、清涼な水を湛えて水路が巡っていた。各家から水路へ降りるための石段が備わっていた。高島の“かばた”を思い出す。

近隣にこんな美しい場所があったのかと感心して、自転車を漕ぐ勢いを無くしてしまう。

全く人影のない道を進んで行く。桜が風に煽られ大きく枝を揺らして、辺りに可憐な春を撒き散らしていた。
すっかり桃源郷へと迷い込んだような感覚を覚えたが、その風景に溶け込んだ人影をやっと見つけた。

畑仕事に勤しむその人たちは、私たちとはまるで別の時間が流れているかのように、作物や土と対話している姿に見えた。

ほどなくして、目印にしていた鳥居に行き当たる。

お社の前に着き、余りの静けさにハタと気付いた。その壁貼られたポスター「富岡鉄斎」の展示こそが目的だったのだが、どうやらこの布施美術館は普段は所蔵庫で、会場は別にあることが判明。目的にすべき場所は高月駅前の歴史博物館であった。

悔やんだのもつかの間、山麓にたたずむ社寺を見上げて、直ぐに気持ちを切り替えることができた。また今日も、何かしら導かれてやって来たのだと自分に言い聞かせて。

先程まで遠くから丘に見えていた山から、霊気がそこまで迫っていた。鳥居から石段が伸び、年季の入った石積みの壁が上の方へと続いている。

頭上の石積みから身を乗り出すように咲いた一本の桜が、自然のままに自由に枝を伸ばして佇んでいた。

休憩所前の手水舎で手を清める。手水場の端には、石段に沿って流れる山水が上から流れ落ちていた。石段を登っていくと、清い水流を浴びて、小さな植物たちが芽吹いたばかり。山野の淡い紫すみれを見つけて「あ。」と声を漏らした。小さく、微笑み返すように咲いていた。

石段を登りきると、目の前にお堂、お寺の梵鐘、さらに奥には神社の建物が居並んでいた。ここも、神仏習合の名残が色濃く残っている。
境内からは、目下に真っ直ぐ伸びる参道と集落が見渡せた。こうして見ても、なんて静かで穏やかな場所なんだろうか。

お社からお堂へ、順番にお参りしてゆく。

一番奥に、おそらくこの中では一番古くから祀られているであろう日吉神社が鎮座していた。近年の台風や風雨の被害になんとか耐えてきたような佇まい。おそるおそる、本殿の石段を登る。
本殿を囲む壁の崩れそうにたわんだ屋根に、すみれが群生していた。

中央のお堂には、なんと千手観音像が安置されているとのこと。湖国に住まうことで、白洲正子さんの「かくれ里」にすっかり傾倒しているので、またもや“かくれ里巡礼”とばかりに心躍った。

しかしお堂の中を覗き込むと、お厨子の扉はしっかりと閉められていた。さすがにご開帳の日では無かったかと少し残念な心地になったけれど、それでも御扉越しに拝めたことは有難く、静かに手を合わせた。

境内は、豊かに草木が生い茂っているが、放置し過ぎない程度に人の手が入っているように感じた。隅々まで掃き清められたような空気が漂っている。私自身、神社で勤めていた経験から、常駐者のいない無人の社寺でも、手入れされた形跡を見つけて、大切にお守りされている人の気配を敏感に感じ取ることがある。その逆も然りで、ごく稀に荒れ放題の場所もあって、やはりこんな所では神様がお留守なのではないかと思ってしまう。

一通り参拝を終え、再び観音さまのお堂の前へ戻り、石段にもたれかかった。誰一人として訪れる人の気配はない。
背後の山から、色んな山鳥の声が響いてきた。

鳥たちの声の奥に、時折カーンという音が響いている。
気になってお堂の後ろに行ってみると、山からの水を竹筒に受け流した、手作りの鹿威しが備わっていた。
里での暮らし気配が、軽やかな音を響かせて、静かに漂っていた。

清らかな霊気にふれ、すっかり心身共に心地よく満たされたので、そろそろ帰路につくことにした。
階段を降りたところで、初老の男性に声をかけられた。
「観音さまは拝まれましたか?」と聞かれ、先ほどお参りしたことを伝える。すると、なんでも地元の方々が当番制でお堂のカギを開けて直接拝ませてもらえるという。「今日の当番に電話しましょうか?」と、親切に聞いてくださったが、急なことで申し訳なく思って、その場は丁寧にお断りをした。
その方が去ってから、やはり思い直して、もう一度境内入り口付近の看板を確認しに戻った。「ご参拝の方は○○にご連絡ください。すぐに当番のものが駆け付けます。」と連絡先が書かれていた。なんと当日でも受け付けるとのこと。

ここまできたら、電話するほかない。さっそく書かれた番号に連絡すると、すぐに参りますとのこと。ほどなくして、当番の男性がきてくださった。
急な参拝にもやはり慣れていらっしゃるようで、柔和な対応にほっとする。ご挨拶もほどほどに、先ほど参ったお堂へと向かう。さっそく、裏口のカギを開けて中へとご案内してくださった。

先ほどは外から眺めていたお厨子には、錆び行くものの極彩色が施されていた。正面に座って、歴史などの説明を受ける。そしてゆっくりと扉が開かれた。中には2体の観音像。戦乱のさ中に、村人たちが像を川に沈めて隠したことから、その手先などが欠損し痛々しい姿になったと聞く。しかし目の前に立たれるお姿には、どこか穏やかさが漂っている。ふっくらとした躯体から延びた手、人々に向けられた優しい眼差し。深い御心に包まれ、安穏とした表情が見て取れた。

古くは、観音像を守るため厳重にお堂を施錠して、年に一度の祭日にのみ御開帳し、村の者だけがそのお姿を拝むことを許されたという。
それが近年になって、修復調査などを経て、万人に開くことを許されるようになった。鍵は持ち回りで当番のものが管理し、一般にも公開されるようになった。現在は特定の宗派にも属さず、住職もいないので、村人たちで協力し大切に管理されているという。

やはりこのお姿を拝むために、今日は導かれてきたのかしら。
再びそんなことを想い、しばし静かに手を合わせた。


―――湖北、赤後寺にて。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?