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介護が終わって(1) ~「ひとりでいる事」と「ひとりになる事」の違い~

こんにちは、こんばんは。


あなたは、転校をしたことがありますか。
私は、小学生ときに1回、中学生のときに1回の計2回あります。

転校初日の教室に向かうときのドキドキした気持ち、教室へ入って注目されるときの恥ずかしさ、まわりの同級生の顔がみんな同じに見えたときの不安、今も忘れられません。
その後は、当然ながら、いじめられました。友達ができるまでは、言葉や習慣の違いでいじめに遭い、「孤独」をいやというほど感じて過ごしていました。
自分では、こどもの頃に感じたこの「強い孤独感」のせいで、「将来ひとりになることがあっても、それほど寂しくないだろうな。」とぼんやりと思っていました。

介護の真っ最中のころ、近所に住んでいる夫を亡くされてひとり暮らしの方から「ひとりになったら寂しいよ。」と言われたことがありました。そのとき、「そうですか。」と受け流しながら、心のなかでは「転校したことがあるし、大丈夫なんですけど。」とつぶやいていました。

それに、ずっと実家住まいではありましたが、長期出張で何カ月間も家族と離れて住んだこともあるし、父が亡くなった後、母が何度も入院したときに毎度毎度ひとりで生活していたし、「ひとりでいる事」に不安や寂しさを感じることがあまりなかったのです。


しかし、そのときの私は、

「ひとりでいる事」と「ひとりになる事」の違い

を全くわかっていませんでした。


妹が嫁ぎ、両親と3人で生活し、そして父が逝き、母が逝った今、「平気なはず」なのに、寂しくて寂しくて寂しくて「後追い〇〇したいという気持ち」がわかるようになりました。


そして、こうも考えました。

私が転校で感じていた孤独は「ひとりでいる事」だったのではないか。
転校前の学校でみんなにさようならをするときには「ひとりになる事」の寂しさを感じます。しかし、どんどんと過ぎていく学校生活の間に「なる事」の寂しさはなくなり、しまいには友達もできて「いる事」の寂しさも薄らいでいきます。

でも、今感じている「ひとりになる事」は、家族といた頃の楽しい思い出だけでなく、両親にこうしてあげればよかった、ああすればよかったという後悔、介護でしんどかったことや苦しかったことの記憶、全部まとめて過去になってしまったという寂しさです。そして、それは薄らぐことがありません。


この年令になって気づくなんて、つくづく情けないかぎりです。
「考えが甘い」と言われても、返す言葉もありません。
そんな恥ずかしい自分自身ができること、この寂しさが薄らぐためにやれることはないか、ずっと考えている毎日です。
noteを始めることもその中のひとつです。
これから介護のことも少しずつ書いていこうと思っています。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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