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石庭で有名な龍安寺

龍安寺へのアクセス

石庭で有名な龍安寺は、嵐電北野線の「龍安寺」駅から徒歩10分ほどのところにあります。

嵐電の北野線は、「四条大宮」駅から「嵐山」駅まで走る嵐山線の真ん中の駅「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅から乗り換えて、北野天満宮のある「北野白梅町」駅まで伸びる市電です。

嵐電は、京都で唯一残る市電で、市電と言いながらも、道路沿いを走るのは、「西院(さい)」駅から、「山之内」駅、「嵐電天神川」駅までのほんの短い間だけとなります。

とても風情のある電車なので、電車好きの方は、是非お乗りくださいね。

(撮影は嵐山駅にて)

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嵐電北野線は、「北野白梅町」駅から、「等持院」「龍安寺」「妙心寺」「御室仁和寺」と、お寺の名前の駅名が続きます。

近いし、一度に回れそう、と思いますが、どのお寺もとても広いので、やっぱり何回かに分けて行った方が良いのかなと思います。


きぬかけの道

金閣寺から、龍安寺、仁和寺は、「きぬかけの道」でつながっていて、それぞれのお寺の間は20分以内で歩けるので、まとめて一緒に回るのも良いと思います。もちろんバスも走っているので、上手く利用すると効率よく回れますね。

この「きぬかけの道」は、平成3年に命名されたらしく、それまでは「観光道路」と、何とも味気のない名前で呼ばれていたようです。

「きぬかけの道」の名前の由来は衣笠山(きぬがさやま)。

金閣寺・龍安寺・仁和寺は衣笠山の麓にあります。

真夏に雪が見たいと言う宇多天皇のために、衣笠山に絹をかけたという故事から名づけられたとか。

(昔の天皇は、むちゃを言ってたものだな。。。)

でも、美しい響きの名前が付いてよかったですね。

ところが、衣笠山は美しい話だけではなく、ちょっと怖い話も。。。

昔はこの衣笠山は埋葬地で、死装束の白衣で埋葬された亡骸が白い笠のように見えたからこの名前が付いたとのいわれもあるのです。

お寺が多くあるあたりなので、埋葬地であってもおかしくないですが、お寺は拝観時間を過ぎると人気も少なくなり怖い雰囲気になりますので、気を付けたいところです。。。


やっと龍安寺の話に

龍安寺は、臨済宗妙心寺派の塔頭となります。

妙心寺は、龍安寺より南にある、とても大きな敷地のお寺で、全国にある臨済宗寺院約6,000のお寺のうち、約3,500のお寺を妙心寺派で占めるほどと言われています。

禅宗のお寺らしく、落ち着いた境内は、本当に美しいところでした。

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2020年の初夏は、コロナ禍の影響で、観光客も少なくて、このお庭を独り占めできるとても贅沢な時間でした。

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龍安寺の開祖は、細川勝元。(応仁の乱の東軍統帥だった人)

1450年、室町時代に作られたお寺です。

龍安寺を有名にしたのは、方丈にある石庭。

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1975年に、エリザベス女王が訪日の際に、拝観に訪れ、この石庭を絶賛したことをきっかけに、海外にも知られるようになり、多くの方が訪れるようになったとか。

 海外で認められて日本で有名になるという、よくある流れですね。

 この石庭、室町末期(1500年頃)特芳禅傑らの優れた禅僧によって作庭されたと伝えられているそうです。

 石庭の石は全部で15個あるのですが、どこからみても、14個しか見えないように出来ています。
 それは、15というのが東洋の世界で、完璧を表す数字で、そこから1つ欠けさせることで、不完全さを表現していると言われたりしていますが、実は、本当のところ、作庭者、作庭時期、意図も、諸説あるらしく、本当のことは分からなくなているようです。

見る人の心次第、という感じなのかもしれませんね。まさに禅らしい感じだと思います。

また、庭を囲っている塀は、菜種油を混ぜた土で作られていて、時の経過による油の変化が独特な風合いを醸し出しているそうです。byパンフレット

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石庭の反対の北側には、銭形のつくばいがあり、水戸光圀公(黄門様ですね)の寄進といわれています。

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写真では見にくいですが、銭の口の周りに、書かれている「五・隹・疋(但し、上の横棒がない)・矢」に、真ん中の口を足すと、「吾れ唯だ足ることを知る」という禅の言葉になっているのです。


方丈の拝観後は、鏡容池の散策。

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一面の睡蓮は、初夏のころには、一面に咲いているのが見れるそうです。

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