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京都からちょっと足を延ばして~近江神宮

アクセス

近江神宮は、JRなら「京都駅」から湖西線で2駅目、「大津京駅」下車徒歩約15分。

又は、地下鉄東西線から京阪電車京津線で「びわ湖浜大津駅」に。ここで「坂本比叡山口駅」行きに乗り換えて、4つ目の「近江神宮前駅」徒歩9分となります。

京阪京津線は、地下鉄から始まり、京都滋賀の県境を超えるときには登山鉄道、「びわ湖浜大津駅」では、路面鉄道、1台で3役をこなす、日本で唯一の電車とのこと。

折角なら、この電車に乗って向かうと良いですね。

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「近江神宮前駅」は住宅街の中にある、小さな駅です。

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「近江神宮前駅」という名前なのですが、駅の真ん前に神宮があるわけでは無くて、住宅地の中にひっそりとあり、民家の立ち並ぶ道をくねくねと歩いていかないと、近江神宮にはたどり着けないので、駅の地図、もしくは、グーグルマップを見ながら向かってください。

歩いていると、鬱蒼とした森が現れて、こちらが、近江神宮の敷地となります。

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森の中を抜けていくと、鳥居が現れて、

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ここを超えると、近江神宮のシンボル、楼門が現れます。

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神社あるあるですが、神社の敷地に入ってからが、また遠いのです。。。


近江神宮とは?

近江神宮は、実は昭和に入ってから出来た、新しい神社です。

令和2年に、80周年を迎えたとか。

神社の建つこの地は、飛鳥時代と奈良時代の間に、5年だけ大津京という都が置かれた地となります。

時の天皇は、天智天皇。

歴史で必ず習う、あの、大化の改新をおこした、中大兄皇子です。


大津京に遷都する前、天智天皇は、朝鮮半島に出兵をしています。

これは、日本と同盟を結んでいた百済が、新羅と唐に攻められて滅んでしまったのを助けるために、出兵したのですが、白村江の戦いで惨敗し、逃げ帰った後に、遷都されたそうで、諸説あるようですが、外敵から身を守るために、奥まった地である、大津に都を作ったとかとも言われています。


短い期間でも、この地に都があったということは、大津の発展に貢献し、明治から昭和にかけて、天智天皇を崇拝する声が高まり、この地に近江神宮が創建されることになったとのことなのです。


時計館宝物館

近江神宮には、時計館宝物館があります。

ここでは、日本初の時計館として誕生して、古代から現代までの時計を展示しています。

実は、天智天皇が、大津京に日本で初めて、時を刻むことのできる漏刻(ろうこく)という、水時計を作ったということから作られたそうです。

(但し、その10年前、斉明天皇の時代に、飛鳥でも、中大兄皇子が漏刻を作ったという記録もあるそうで(私もテレビでこの話を見たことがあります)、どちらが最初かはっきりしたことは分からないそうです)

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写真が漏刻で、オメガ社総代理店のシイベルヘグナー社から奉納されたものと書かれていました。

水が少しずつ流れて、溜まることで矢が浮き上がり、そのメモリにより、時が分かるそうです。

(近くに寄ることが出来ないので、どうなっているのか細かいところは分からないのですが。。。)


日本の、時計発祥の地として、境内には様々な時計のオブジェも置かれていました。

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上2つの写真は日時計。


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こちらは、古代火時計。ロレックス社からの奉納だそうです。


百人一首

天智天皇といえば、百人一首の1番の歌で有名です。

「秋の田のかりほの庵の苫を荒みわがころも手は露に濡れつつ」


このことから、百人一首かるたの聖地とも呼ばれ、漫画・映画「ちはやふる」の舞台にもなりました。

映画の中で、実際に、近江神宮へのお参りのシーンもありましたし、神宮の隣にある、近江勧学館で行われる、競技かるた大会のシーンも、こちらでロケをされたそうです。

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しっかりポスターが貼られていました。

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こんなフォトスポットもありました!

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映画に出演された俳優さん達のサインは、畳を額縁にディスプレイされていました!


何もない時に来ると、とても静かな場所ですが、映画のように、かるた大会が開催されている時は、きっと、とても賑やかなのでしょうね!

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