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16.「祇園祭セッション」と「セッションCD」、2つのアイディア

 現在、Irish PUB fieldは休業を余儀なくされていますが、そんな折り、2000年のパブ創業以来の様々な資料に触れる機会がありました。そこで、2001~11年ごろにfield オーナー洲崎一彦が、ライターのおおしまゆたか氏と共に編集発行していた月刊メールマガジン、「クラン・コラCran Coille:アイルランド音楽の森」に寄稿していた記事を発掘しました。

 そして、このほぼ10年分に渡る記事より私が特に面白いと思ったものを選抜し、紹介して行くシリーズをこのnote上で始めることにしました。特に若い世代の皆様には意外な事実が満載でお楽しみいただけることと思います。

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 今回の記事は、続きものの短めの記事を2つご紹介します。その後毎年恒例となった祇園祭セッションが始まった時のお話と、「fieldセッションCD」のvol.1を録音する時のお話です──。(Irish PUB field 店長 佐藤)

↓前回の記事は、こちら↓

セッションは川のようなもの (2003年7月)

 前回は、アイリッシュ音楽に取り憑かれた20年選手、30年選手のモノノケ達のライブがどんなに恐ろしいものであったかをリポートしたが、今回はガラリと視点を変えて若手ミュージシャンの話題で行こう。  

 fieldアイ研に集う人たちは、アイ研という集まりがとってもゆる~い団体であることもあって、こういう趣味の集団によくあるようにひとりひとりのポジションが全然固定されない。これは、ある意味、変にまとまって、外から見ると妙に排他的なイメージになりがちなこの手の団体のマイナスからは逃れられるが、いかんせん、極めて脆弱な組織がその存在理由さえも危うくするモロさが常につきまとう。 

 アイ研発足当時はまだ学生だったエネルギーあふれる若者達も、今ではそこらここらのパブで小遣い稼ぎをするまでの中堅所となり、関西圏でもアイリッシュ・ミュージックの演奏がちょっとした商品価値を持つに至って、アイ研のような集団はより初心者の方々にこそ必要とされる流れにあるのだが、良き先輩の方々には半ば無用と化したアイ研は、いったい何を求心力としていくのか?    

 という時期にひとりの若者が急激に光り輝き出したのだ。ホイッスル奏者としていつも2番手3番手の位置が指定席だった彼は、この6月に初めてアイルランドの地に渡航し、そして帰って来た。満面の笑顔で帰ってきた。こんなにも素直に「おもしろかった~」「楽しかった~」を連発する奴も珍しいという雰囲気でfieldセッションに帰って来た。  

 この若者がにわかに光を放ち始めたのだ。素直で謙虚に音楽を楽しむ彼の雰囲気がfieldセッションの音を少しずつ変えていく。毎回のセッションがそんな動的な流れの中に放り込まれたような感じ。折しも、京都は祇園祭の時期を迎え、fieldは鉾町をかすめる東端に位置していることから祇園祭に完全に飲み込まれる立地にある。  

 せっかくだから、外の祭りの雑踏に向かってセッションをしよう! 何でこれまで思いつかなかったのかと思うのだが、fieldの上のテラスや階段を使えば街に向かってセッションができる!  

 そうして今年は、外の階段の踊り場をライトアップして、この彼を中心に「祇園祭宵山セッション」をぶちかました。面白い事にセッションに参加しにやって来たのは若い人たちばかり。祭りの夜におっさん連中はどこにしけ込んでいるのか? あるいはどっかで小遣い稼ぎにでも精を出しているのか?  

 ようやくアイ研にも新しい風が吹き始めた。人材はこのようなタイミングでひょっこり登場するものなのだということを実感した。セッションは川のようなものだ。渇水もするし増水もする。雨の後には泥水であふれ、いつも雪解け水の清涼感を味わえるとは限らない。常に上流からは何が流れて来るか分からないし、下流で堰き止められれば流れが逆流することもしばしば。  

 そして、今、fieldアイ研のセッションは、しばし淀んでいた水が、また少しずつサラサラと流れ始めたという所か。また、ちょっと楽しくなるよ、きっと。  

<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・現状~充電というのか放電というのか? 感電というのもあるかもしれん>


セッションの録音 (2003年8月)

 前回、ある若手ホイッスル奏者の話を書いたが、今回もこの彼が言い出しっぺ。 

「セッションを録音してCDに焼いて配れば、field では今どんな曲がポピュラーかがよく分かって、初めてセッションに来る人も来やすいんとちがう?」  

 へえ~、それはなかなか良いアイデアじゃ! と、私などはこの企画に飛びついてしまった。じゃあ、録音するセッションの日を決めて、あらかじめみんなに案内して、 それから、やる曲もあらかじめリストアップしといて、それからそれから‥‥ とまあ、彼の頭の中はこのプランで盛り上がりまくり。 

 そしていざ、そのセッション日を迎えふたを開けてみると、結局、録音ときいて敬遠する人の方が多かったみたい。セッション参加者は私と彼以外に3名、内1名は録音なんてまるで知らずに来てしまって慌てている。 

 録音は新しく3階に作ったスタジオの録音機材を降ろして来て、スタッフのアニメ君がマイクなんか立ててエンジニアとしてうろうろしてる。というそんな雰囲気の中でセッションが始まった。 

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↑fieldの3階、「field STUDIO」ではレコーディング業務も行なっています。

 若手ホイッスルの彼はちゃんとチューンをリストアップしてきていて、「メドレーにセットを組むと、聴く時にわかりにくいでしょ?」 と、1曲1曲ぶつ切れに演奏する事を提案し、じゃあそれで行こうという事になるのだが、その1曲1曲が終わる度に、彼はエンジニアのアニメ君にちゃんと録れたかどうかいちいち確認。場合によっては同じ曲を演奏し直したりする。

 初めは、いつものバッドな雑談も一緒に録音されて面白いかもしれんなー! なんて言ってたのに、「時間が無いから、さあ次、どんどんいきましょう!」てな具合で、雑談もできない‥‥。 

 私はだんだんストレスがたまってきて、中盤で早くも「こんなのセッションやないわい!」 と心の中で叫んでいた。  

 1曲1曲ぶつ切れのダンス・チューンではやっとノッて来そうになる頃に曲が終わってしまうし、何よりも、大げさなマイクが立っててコンピューター画面には何やらよくわからない数字がもの凄い早さで動いている。そんな環境で 「今、録音してるんや」という演出効果満点な中では何かしら固くなってノレるものもノレない。 

 あらためて思う。凄い演奏をCDに残している人たちの偉大さ。そして、誤解を恐れずあえて言うと、セッションの醍醐味は演奏者の無責任さというものにもあったのだな、ということ。 そうよなあ、セッションって遊びだから楽しいんよなあ~。つくづく、そん なことを考えさせられる出来事でありました。 

 正味2時間バッチリ録られたこの時の録音は、今頃コンピューター・データとなって編集されている最中だと思う。本当にちゃんとCDになるのかどうかよく分からないが、一部はWeb上で聴けるようにするなんて話も出ているらしい。

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↑その時録音されたのが「セッションCD vol.1」その後、録音データが紛失し、長らく欠品になっていましたが、2018年にセッショングループ「morning ball」により同じ選曲で再録されたものが、YouTubeにアップされています 

<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・現状~今ちょっと一瞬、停電という感じかなあ。ニューヨークやないけど‥‥>                 

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