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26.アンサンブル練習会、始動

 2020年5月、Irish PUB fieldは休業を余儀なくされていましたが、そんな折り、2000年のパブ創業以来の様々な資料に触れる機会がありました。そこで、2001~11年ごろにfield オーナー洲崎一彦が、ライターのおおしまゆたか氏と共に編集発行していた月刊メールマガジン、「クラン・コラCran Coille:アイルランド音楽の森」に寄稿していた記事を発掘しました。

 そして、このほぼ10年分に渡る記事より私が特に面白いと思ったものを選抜し、紹介して行くシリーズをこのnote上で始めることにしました。特に若い世代の皆様には意外な事実が満載でお楽しみいただけることと思います。

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 前回ご紹介したfield アイ研の初心者練習会とは別に、2006年「アンサンブル練習会」がスタートしました(現在は休止中)。どんなことが取り組まれていたのでしょうか、当時の記事を紹介します──。(Irish PUB field 店長 佐藤)

↓前回の記事は、こちら↓

アンサンブル練習会、始動 (2006年3月)

 さて、今回は、実質的に2月から始動した、「アンサンブル練習会」の事を書いてみます。  

 これは、何をするのかと言うと、文字通り「アンサンブル」の練習をするわけですが、平たく言えば、「合奏」の練習です。  しかし、この「合奏」というものは、ほとんどの人が多かれ少なかれその人の「感覚」だけでやってきた。厳しい高校のブラスバンドなどでは、ほぼ体育会的訓練で「合奏」を指導された人たちもいるかもしれませんが、その方法論は同じ指導を共有した仲間同士の合奏以外にはあまり役に立たなかったりするでしょう。  

 「はい、では、このメトロノームに合わせて! イチ! ニ! サン! シ!」  

 と、やったところで、次の「イチ!」で、みんな同時に音が出せるかどうかはいつも分からない。  

 では、この 「合わせる」 って、何をどうする事なのか?  

 これを、論理的に説明することは簡単です。でも、その「作業(動作)」をするために、自分の体の中のどういう感覚、どういう反射神経、どういう筋肉を、どういう風に使うのか? 結局、これらの「具体的」な「作業(動作)」は各人の個人的な解釈と感覚に任せるしかない。  

 そして、たまたま、うまくこのコツをつかんだ人は「才能がある」。うまくつかめなかった人は「才能が無い」という烙印を押されてしまうというわけです。  

 似ているものがありますよね。スポーツの技術です。しかし、スポーツの技術は、その技術を身体に覚え込ませる体系的な訓練法がある程度開発されています。  

 しかし、音楽の場合、理論は体系的に整備されていても、実技の訓練法は、クラシック音楽の分野以外ではほとんど何も確立されていません。巷には様々な楽器教室がありますが、それは、それぞれの講師の解釈と個性に任せるしかないのが実状でしょう。  

 そして、実際には、その楽器の操作方法を教えるのに精一杯で、この「合奏」方法にまでは手が回らない、あるいは、教えようが無いので、手を付けない。  

 しかし、何か、方法はあるはずなのです。私はずっとこの事を考えていました。 

 例えば、民族音楽はそのほとんどが民衆が語り継いで来た音楽であり、特別な才能を持った人だけのものではありません。つまり、現在のポピュラー音楽の感覚により近く、基本的な音楽要素を持ち、それでいて民族音楽のシンプルさと明快さを併せ持った音楽を探し出して、これを題材とする。  

 この題材に、何かキイワードとなるような音楽の基本的な要素を持って来る事によって、「合奏」の理解は、現状の閉塞感を一気にうち破ることができるのではないかと考えました。  

 そして、たどり着いたのが、  

 この題材を 「アイリッシュ・ダンス・チューン」に、  

 このキイワードを 「ビート」とする、ということ。  

 このような練習会ですから、多分に実験的要素が強く、試行錯誤を繰り返す事になるでしょうし、何かの袋小路に突き当たってしまって一向に前進しないような事態も発生する事でしょう。  

 従って、このような未完成カリキュラムに沿った「教室」は、「練習会」と称して無料で実施するより他に方法がないでしょう。それも、あらかじめ、この、fieldアイルランド音楽研究会という場所の音楽的環境と状況をある程度認知している人たちに対して。まずは、この方法でしか始められない。  

 というわけで、この「練習会」は、fieldアイ研部員対象という事での開始となったわけです。別 にいたずらに閉鎖的にしたものでもなければ、新たなfieldアイ研部員の獲得を狙ったというようなスケベな意図もありません。  

 この練習会を始めるにあたって、まず、第一番目の関門が 「発想の転換をしてもらう」 ということでした。 「音楽を奏でる」 という発想を、イメージを、とりあえず、一度、変えてもらわなければならないのです。    

 それは、非常に基本的、根本的な聴覚刺激と運動神経の関係にまで立ち戻るためです。普段、楽器を演奏しているクセは一度放棄してもらわなければならない。  

 しかし、この最初の段階が非常に微妙な事なのでした。この、クセの「放棄」は、練習の為の準備であり、クセを「否定」しているのではありません。このあたりの事を正確に伝えなければ、自分の音楽が否定されたのだという印象を受けて不快感を覚える人も出てくるでしょうし、逆に、マジメな人は楽器演奏が出来なくなるという事態になることもあり得ます。  

 その為には、キイワードとなる「ビート」の概念を厳密に「定義」しなければなりませんでした。正確には、日本語での「ビート」は音楽専門用語ではありません。音楽俗語と言ってもいいような語なのです。だから、汎用定義など初めからどこにもないわけで、

 まずは  「この練習会だけで決める定義です」  と、注釈を入れてから、バッサリ定義しました。  

 曰く

「メロディを決定する時間経過を表しているのがリズム。ビートを決定する時間経過を表しているのが拍」  

 この定義自体が正しいのがどうかの詮索はどうか今はご容赦ください。この定義をバーンと明示した時、ほとんどの人が 「その定義に於けるメロディとリズムは意識したことがあるけど、ビートと拍は何の事か分からない」 という反応を見せました。  つまり、従来の音楽に対するイメージには無かった「ビートと拍」の概念を理解してもらう事により、自動的に「発想の転換」が可能になるという事です。  

 というわけで、最初の何回かは、毎回、初参加の人がいたので、このあたりの説明は非常に慎重に何度も繰り返してやらざるを得なかったわけです。また、このいわゆるガイダンスに一度出席してくれて、その後、来なくなった人も何人かいました。でも、それはそれで良いのです。  

 ここで、要求する「発想の転換」が、その人が今やっている音楽活動の邪魔をすることは多いにあり得るわけですから、ガイダンスを聞いて、自らその判断を下したのであれば、それは、非常に良く話を理解してくれた人なのかもしれないのです。  

 そして、4回目あたりの練習会で、ようやく「実技」にたどり着くことができました。が、「実技」に入ってみたらみたで、これがまた、色々な難関が待っていました。  

 今度は「理屈」じゃない。実際の個々人の「聴感覚」「運動神経」に直接うったえて行かなければならないわけで、その上、色々な楽器の人達に対して、同時に同じ概念の練習をしてもらわなければならない。何故かと言うと、これは「合奏」の練習会だからです。  

 ここで、よくある反応が 「楽器を奏でるイメージは、個々の楽器によって違うでしょう」  というものです。  

 でも、これを 「同じ」  にしなければ、話は前に進まない。

 また、 「同じ」  でなければ、論理的に「合奏」は成立しない。  

 というわけで、次号のクランコラが出る頃には、この実技練習もまた色々な試行錯誤を経ていると思うので、続きは次号、ということにします。    

<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・本当は自分の練習もせにゃならん。んなことばかりやってるので自分はどんどん置いてけぼり。>                  


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