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便利堂ものづくりインタビュー 第8回

大野秀子グレイス(写真右) 聞き手:社長室 前田(写真左)

外から見た日本、中で感じる日本

───秀子さん、日本語がとてもお上手です。

「わたしの母は南太平洋の国、パプアニューギニアの人です。父の仕事のために3歳くらいまでパプアニューギニアで過ごし、8歳くらいからは英語圏やフランス語圏など海外のあちこちで育ちました。父は日本人なので家族の中では日本語も話していたけど、学校や周りの環境は英語だったのでメインは英語。頭の中では英語と日本語が混ざっていて、日本語はこれからもっと勉強したいと思っています。」

───日本へ戻ってこられたのは…?

「2014年に戻り、しばらく東京に住んでいました。これまでわたしは日本に長く暮らしたことがなかったし、学校はインターナショナルスクールだったので日本の歴史についてはくわしく知りません。でも日本の文化についてはテレビや作家の人たち、それから小津安二郎さんの映画を見ていたからすごいなと思っていました。例えばお茶や陶磁器が有名ということなど、わたしが知っている日本文化のほとんどは英語を通して外側から知ったものです。実際に日本に住んでみて、暮らす中で何かを見たり感じたりするのと、これまでのように外から日本を見るのとはすごく違うなと思っています。今まで思ったことがなかったけど、日本に戻ってきてやっぱり自分は日本人かなと思うようになりました。」

───秀子さんは外側と内側、どちらの視点も持っているんですね。どこかのタイミングでアートについて勉強されましたか?

「アートにフォーカスした大学に通い、そこでメディアとコミュニケーションを学びました。理論を勉強しつつ、半分はドキュメンタリ―などの映像を撮るほか、写真や絵やラジオなどの作品作りをしていました。子どもの頃から映像を撮るのが好きでしたが、今思い出すと昔は贅沢なフィルムの使い方をしていたなあと思います。」

即決した京都への引っ越し

───楽しそうですね。便利堂へ来られた経緯を教えてください。

「以前、便利堂が海外の方へ向けて発行していたアートにまつわるフリーペーパーでライターを担当したことがきっかけです。その後、ちょうど東京から引っ越したいと考えていたタイミングで鈴木社長から「便利堂で働きませんか?」と誘われたので「オッケー、京都へ行く! 」とすぐに決めました。」

───運命的なタイミングですね。所属されている海外事業部はすでにありましたか?

「わたしが入社したタイミングでできました。でも社長が声をかけてくれたのは海外事業部の発足ではなく別の目的だったと思います。今も便利堂で販売しているポートフォリオは2005年頃から商品化されましたが、これは社長がまだ社員だった頃からのいわばパッションプロジェクトでした。彼は「写真とコロタイプのプロジェクトをつなげていきたい」という思いをずっと持っていたそうです。そんな社長の思いが少しずつ形になりはじめた頃にわたしが入りましたが、まだまだ何をしていいのかわからず手探りでした。でも、しばらくするとタカさんが来てくれたんです」

 ───『アートの入り口』や『芸術家たち』の著者 河内タカさんですね。エディターやキュレーターとしてもご活躍で、便利堂では海外事業部を統括されています。

「タカさんのディレクションで方向性がはっきりしました。写真の世界のネットワークや著名な作家さんとのつながり、求められる商品の製作や海外のフェアで便利堂を紹介することなど、今は普通にやっている流れができたのはこの時でした。その後もう一人も入社し、海外事業部の形ができました。誰か一人でも欠けたら今のようにはならなかったと思います。」

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世界中の人へコロタイプのよさを話したい

───一歩ずつ進んできたことがわかります。海外のフェアについて教えてください。

「今はコロナの影響で難しいけれど、以前は世界各地で行われる写真関連のフェアへ年に3~4回は行っていました。コロタイプ作品の販売と便利堂の技術を世界へ紹介するのが目的です。中でも一番規模が大きいのはパリフォトですね。そうそう、2017年に便利堂が初めてパリフォトへ行った時にはソール・ライターの大きなポートフォリオをディスプレイしました。「これをもっていったらきっとインパクトがあるよ」というタカさんのアイデアだったのですがその通りでしたね。それを見に来たたくさんの人が「便利堂ってなに?」と興味を持ってくれてすごく大きな話題になりました。フェアでは、便利堂のブースへ足を運んでくれた人に私たちがコロタイプの説明をします。本当は興味をもってくれる人たちみんなに本社へ工房見学に来てもらえたらいいのですがそれは難しいので、あの空気を少しでも伝えられるようにガラスの版を日本から持っていくんです。フェアには世界中から写真関係の作家さんや写真に興味のある人が集まるので、みんな興味津々で聞いてくれるんです。」

───そういう方々はポートフォリオを見てどんな反応をされますか?

「作品を一目見てびっくりされることが多いです。プリントの美しさに驚いて声をかけてくれたり、大きなリアクションをしてくれる人がたくさんいるのはうれしいですね。フェアでお会いする人たちがすごいなと思うのは、作品から職人の技が感じられるからか、コロタイプの説明をしなくても他の印刷と違う特別な技術なんだということに気が付いてくれること。コロタイプは160年も前に生まれたので、コロタイプという技術を知っている人には「まだやってるの?! 」と驚かれたりして、そういう時は「わたしたち、ずっとやってまーす! 」って答えます。」

職人はトレ─ニングをかかさないアスリ─ト

───秀子さんはもともとコロタイプをご存知だったんですか?

「知りませんでした。大学で写真の勉強や暗室を使ったことはあっても印刷については知らなかったから、初めてコロタイプ作品を見たときはすごくきれいでびっくりしました。初めて工房を見学した時もお客さんと同じように興奮してしまいました。」

───わかります。大きな機械と職人の動きに圧倒されます。

「たくさんの職人が働く様子を見ているとまるでトレーニングしているみたいだなと思います。来る日も来る日もよりよいものを作るためにみんな努力しているのがよくわかる。海外でもコロタイプをしている方はいるけど、それは便利堂の技術とはまた少し違います。ベテランのコロタイプ職人である山本さんがみんなの少し前を走っていて、それを世界中のみんなが追いかけているようなイメージがあります。工房は世界中でここにしかありません。その場所で職人たちの作業を間近で見られるのはすごいことだと思います。ここで働くことになった時、自分の言葉でコロタイプの仕事を説明できるようになりたいと思いがんばって勉強しました。」

───仕事と職人、どちらに対しても秀子さんのリスペクトが感じられます。作家の方との作品作りはどんな風に進めるんですか?

「彼らのイメージや求めているものをていねいに聞き取ります。コストについて話すことも大切ですね。でもそれをする私よりも、どうしたら作家が求めるものができるのか、それを考える職人の方が大変なはずです。職人がすごいのは求められているものに近づける努力を怠らないこと。便利堂にはいろんな作家さんが来てくれますが、職人たちはどの作品についても勉強して「こういう作品を作っている人ならきっとこういうものが好きだろう」という想像までしています。彼らはアスリートみたいに日々の努力を怠らないんです。だからたとえどんなに大変なリクエストが来ても、職人のレベルが高いから問題はありません。」

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海外では「ハリバンアワ─ドの便利堂」

───コロタイプでの作品作りといえば、ハリバンアワードのお話も聞かせてください。

「そうですね。ハリバンアワードは2014年に便利堂が始めた写真のコンペティションです。160年の歴史を持つコロタイプ技術と、現代写真のアート性をつなぐ取り組みで、プロ、アマ問わず、モノクロ写真で制作するすべての人が応募できます。実は海外のフェアに行くと、便利堂のことは知らなくてもハリバンアワードを知らない人はいないというくらい、うれしいことにみんなが話題にしてくれています。海外ではハリバンアワードの便利堂として覚えてくれている人が多いかもしれません。」

───それはすごい。うれしいですね。

「写真が好きな人たちはぜひ参加したいと思ってくれているみたいです。今年もたくさんご応募いただいていますが、回を重ねるごとに、名前を聞くと驚くような方たちが何人も応募してくれていてびっくりします。ハリバンアワ─ド初めての受賞者、アヴォイスカ・ヴァン・デル・モレンさんは作家として素晴らしい作品を発表し続けていますが、SNSで、ぜひハリバンに参加してみて!と周囲にシェアしてくれているんです。そうしたこともたくさんの人に知っていただくきっかけになったと思います。今年の締め切りは6月30日です。応募を迷っている人がいたら、ぜひ参加してほしいですね。」

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クリエイティブなことをしよう。世界に知ってもらおう

───初めての方にも応募してほしいですね。そういえばハリバンアワードの賞品はユニークです。

「2週間京都に滞在できるうえ、コロタイプの職人と一緒に作品作りができる。コロタイプの手刷り体験もできるうえ個展も開けるってすごいですよね。写真を撮る人で日本に来たい気持ちをもっている人は大勢いるはず。ほかのコンペにこういう賞品はちょっとないと思います。」

───それは社長のアイデアだったのでしょうか?

「そうだと思います。ハリバンアワードがなければ、海外のフェアに行っていなければ、今のように世界中に便利堂を知ってもらうことができなかったから、彼が思いついたどのアイデアもすごくイマジネーションに富んでいます。お金はかかるけれど、ものを売るということだけを考えていたら意味がない。それ以上に彼が大切にしているのはクリエイティブなことをしようという気持ちだと思うんです。社長の、新しいものへチャレンジするアイデアがなければ便利堂は前へ進むことができなかったかもしれないのですばらしいことですよね。そういうチャレンジをするのってどんなにか大変だと思うけど、でも彼は強い信念を持っている。それがなければ、コロタイプ工房は今とは異なるものになっただろうと思います。」

アートの価値はシェアされることで大きくなる

───挑戦を続けたことで今があるんですね。

「そうなんです。例えばポートフォリオって普通だと100万円ほどすることもざらですけど、それだとどんなにアートが好きでもみんながみんな買えません。私たちがミニポートフォリオを作ったのは、買いやすい価格でたくさんの人にアートを楽しんでもらいたいからです。便利堂にいると、アートが好きな人、アートに携わる人をケアする気持ちを感じます。」

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───最近では堀内誠一さんのミニポートフォリオ『音楽の肖像』が発売されました。

「堀内誠一さんの著書『音楽の肖像』の出版を記念して制作しました。実は、便利堂で絵のミニポートフォリオを販売するのはこれが初めてです。原本は水彩画で、堀内さんの描く透明感や明るい色がカラーコロタイプで再現されていてとてもきれい。プリントを担当したのは以前、このインタビューにも登場した白水さんです。彼女にとっても挑戦だったはずですがものすごく素敵な商品に仕上がっています。これまでミニポートフォリオは写真だけでしたが、今後はアートの範囲をもっと広げた、新しいミニポートフォリオのシリーズをどんどん充実させていく予定です。」

───それは楽しみです。秀子さんを通して便利堂のよさを再発見できた気がします。

「大学を卒業した後、私は漠然とアートの仕事がやりたいと考えていました。アートの価値ってシェアされることでどんどん大きくなっていくと思うんです。もちろんオリジナルにはオリジナルの価値がありますが、アートが本やポストカードなど様々な形で多くの人の目に触れ、オンラインでシェアされることにはまた違った価値がありますよね。大切なことは、それが画像であれ本であれシェアされれば、たとえ異なる経験をしてきた人たちでもコミュニティを作れるということです。もうひとつ、時間と記憶の二つはどちらも決してアートと切り離すことができません。例えばお気に入りの服もお日様にあたればだんだん色あせていくように、いろんなものが時間とともに消えていく。家族の写真や絵画、芸術作品や私たちの記憶ですらだんだんと失われていく。わたしは時間がもたらすこうした変化を美しいと思うので、そのままの形や記憶を留めておきたいということにもとても興味があります。ちょっと行ってみようかなという感じで印刷の知識もないままに便利堂へ入社しましたが、あの時の自分の選択は間違ってなかったなと思います。」

▼ コロタイプについて 詳しくはブログ「コロタイプ通信」をご覧ください。

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