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保育園運営法人の関連企業が「美少女フィギュア」を制作・販売していることについて

保育園を運営する社会福祉法人を設立した企業が、いわゆる「美少女フィギュア」を制作・販売していることについて、問題点を整理してみた。

はじめに

 自分の子どもは京都市内の公立(市営)保育所に通っている。この保育所の運営は近々、民間の社会福祉法人(以下、A法人としておく)に移管される予定だ。要するに民営化なのだが、民営化そのものの是非や賛否については一旦措くとして、移管先に選定された法人については様々な面で問題を感じている。そのうちの一つが、当該法人と密接な関係を持った企業(以下、B社としておく)が、いわゆる「美少女フィギュア」を制作・販売していることだ。
 ただ、そのことのどこが問題なのか、なかなか上手く説明できないし、保育所の保護者間でも共通理解があるわけではない。商品の写真を見て眉を顰める人は多いが、感覚的に「イヤだ」と言っているだけだと、「気にしすぎでしょ」とか「言いがかりだ」とか言われてしまう可能性もある。
 現在、移管先となる法人は京都市の審議会が審査・選定した段階で、市会の承認を得ているわけではない。いわば「内定」状態だ。市会で正式に可決されるまであまり時間は無いが、「何が問題なのか」以下に整理しておきたい。

何が問題なのか?

 まず断っておくと、自分は短絡的に、例えば「保育所で子どもが被写体されるんじゃないか」とか、「保育所内で子どもを狙った性犯罪が起こるんじゃないか」とか、そういったことを心配しているわけではない。当たり前だが、それは「論外」のレベルだ。
 いや、もちろんそうした事案は現実に起こり得ることではあるが、それは安全管理上の問題であって、「美少女フィギュア」を制作・販売しているかどうかはあまり関係が無いだろう。

 では何が問題なのか。
 端的にいうと、自分は、A法人が、女性や子どもの性を商品化することに寄与・加担したり、そのことを許容したりすることで、性的搾取を正当化し、性差別を助長していることについて、疑問や不安、さらには憤りを感じている。このことについて、A法人や、移管に責任を負うべき行政に質してみたものの、今のところ明確な説明はない。疑問や不安が払拭されないどころか、説明すら無いのだから、少なくとも現時点では、公立保育所の移管先になるべきではないと考えている。

性の商品化ではないのか?

 もう少し詳しく説明しよう。
 A法人は模型造形メーカーであるB社との密接な関係の下で設立された法人だ。このB社やそのグループ企業の商品ラインナップを見ると、女性や子ども(のように見える)のキャラクターをかたどったフィギュアや人形、すなわち一般的に「美少女フィギュア」と括られるような商品が少なからず販売されている。
 なお、「美少女フィギュア」という雑な括り方には異論もあるだろうが、とりあえずここでは、「アニメやマンガ、ゲーム等の二次元媒体の、主として女性のキャラクターを模した立体造形物」としておこう。
 さて、そのなかには、体の形状の一部を強調したものや、露出の多い衣装を身に着けたり、不自然なポーズをとったりするものなど、性的な要素を過度に強調した商品も存在する。
 これらの商品が、セクシュアルな眼差しが向けられることを前提として制作されたものであることは明らかであり、さらに言えば、性的な眼差しが向けられることによってこそ商品としての価値が成立するという性格を持ったものである。
 例えば、同社は水着姿の女性キャラクターのフィギュアばかりを集めた販売フェア(「水着祭り」というらしい)を開催しているが、こうした事実は、セクシュアルな要素と商品的価値が強く結びつくものであることを端的に示している。
 こうした表現は、多様な側面から成る人間の本来的な豊かさから性的な要素を一面的に切り取り、断片化することによって、性の商品化を推し進める。そして、このような性的要素の断片化や、性の商品化は、フィクションを素材としたものであるか否かに関わらず、性的搾取を正当化し、性差別を助長し得るものとして、国際的にも日本国内においても、多年にわたって広汎に批判されてきたものだ。

社会福祉法人と企業との関係

 もちろん、A法人は所定の手続きを踏んで設立された社会福祉法人である以上、その経緯や背景、基盤に関わらず、一個の独立した存在とみなされるべきものだ。しかし一方で、例えば社会福祉法人の許認可等にあたって、暴力団等の反社会的勢力が厳密に排除されなければならないことなどからも明らかなように、一般的に社会福祉法人においては、経営・運営主体が「何者」であり、何を基盤として、どのような経緯で設立されたのかといった、法人の背景・土台と、法人が実施する公益事業との関係性や正当性が厳しく問われることは言うまでもない(これは無論、反社会的勢力との関係に限った話ではない)。
 A法人は3年前に設立されたばかりの法人だが(したがって、そもそも認可保育園の運営経験が非常に少ないが、その問題はここでは措いておく)、B社はもともと従業員のために企業内で保育施設を運営しており、この保育施設を認可保育園とするため、社会福祉法人を設立したという経緯がある。
 A法人の理事長を務めるのは、B社の専務取締役である。この専務取締役はB社の代表取締役の配偶者でもある。
 また、B社の商品制作に携わっているであろう造型師の方がA法人設立当初より法人の評議員を務めていること、A法人が現在運営している保育園(以下、C保育園としておく)の創立にあたって、B社が園舎等を寄付していること、さらにはB社の代表取締役(A法人理事長の配偶者)の個人資産からA法人運営資金の一部を借り入れていることなどから、両者が不可分の関係にあることは明らかだ。
 したがって、A法人は、女性や子どもの性の商品化を推し進め、性的搾取や性差別を助長し得る商品を取り扱うB社と、密接な関わりを有する法人であると言わざるを得ない。

性の商品化や性差別的表現はどう批判されてきたか

 ところで、B社の商品が採用する特定の表現に対し、否定的な見解を述べることは、「表現の自由」を侵害したり、「表現の規制」を主張したりすることに当たるだろうか。あるいはまた、「感じ方の違い」とか「受け取り方は人それぞれ」といった受け手側の主観レベルに収斂される問題なのだろうか。

 ①性的表現と性差別についての国際理解

 日本は1985年に女性差別撤廃条約を批准しているが、同条約ではジェンダー平等の観点から、締約国に対し、こうしたステレオタイプ的な性別理解に対処することを求めている(第5条「両性いずれかの劣等性若しくは優越性の観念又は男女の定型化された役割に基づく偏見及び慣習その他あらゆる慣行の撤廃を実現するため、男女の社会的及び文化的な行動様式を修正すること」など。以下、条約等の引用にあたっては、特に注記しない限り日本政府仮訳を使用)。
 このことは、より積極的には、2004年に国連女性差別撤廃委員会が採択した同条約の「一般的勧告第25号」において、「個人による個人的行動を通してだけでなく、法律、法的・社会的構造・制度において、女性に影響を与えている広く行き渡ったジェンダー関係と根強いジェンダーに基づくステレオタイプに対処すること」(パラグラフ7)が締約国の義務とされていることにも示されている。
 一方、同条約の実施状況に関する第6回日本政府報告書に対する同委員会の総括所見(2009年)では、日本社会において「固定的性別役割分担意識にとらわれた姿勢が特にメディアに浸透しており、固定的性別役割分担意識に沿った男女の描写が頻繁に行われていることやポルノがメディアでますます浸透していることを懸念する。過剰な女性の性的描写は、女性を性的対象とみなす既存の固定観念を強化し、女児たちの自尊心を低下させ続けている」(パラグラフ29)との重要な指摘がなされている。
 この点は、続く第7回および第8回日本政府報告書に対する同委員会の総括所見(2016年)においても、特に「メディアが、性的対象とみなすことを含め、女性や女児について固定観念に沿った描写を頻繁に行っていること」や「固定観念が引き続き女性に対する性暴力の根本的原因であり、ポルノ、ビデオゲーム、漫画などのアニメが女性や女児に対する性暴力を助長していること」への懸念が表明されており(パラグラフ21)、「女性や女児の人権の促進に積極的な文化的伝統を醸成する取組を強化すること」や「差別的な固定観念を増幅し、女性や女児に対する性暴力を助長するポルノ、ビデオゲーム、アニメの製造と流通を規制するため、既存の法的措置や監視プログラムを効果的に実施すること」(パラグラフ22)というように、より踏み込んだ対応が求められている。
 これらの総括所見からも明らかなように、国際的には、日本がメディアやフィクションの領域も含めて、女性や子どもの性の商品化に対する許容度が高く、また、そのことへの社会的制裁を受けにくい社会であること、それが女性や子どもへの性暴力や性的搾取の背景・要因となっていることへの懸念が度々表明されており、日本において、こうした問題への対応が遅々として進んでいない実状が繰り返し指摘されてきた。

 ②男女共同参画社会の実現という視点から

 また、国内でも男女共同参画社会基本法(1999年施行)に基づいて内閣府が2015年に策定した「第四次男女共同参画社会基本計画」において、「女性を専ら性的ないしは暴力行為の対象として捉えたメディアにおける性・暴力表現は、男女共同参画社会の形成を大きく阻害するものであり、女性に対する人権侵害となるものもある」という観点から、「メディア産業の性・暴力表現について、DVD、ビデオ、パソコンゲーム等バーチャルな分野を含め、自主規制等の取組を促進するとともに、表現の自由を十分尊重した上で、その流通・閲覧等に関する対策の在り方を検討する」という方向性が打ち出されており、これに沿って、各地方自治体ではガイドラインの策定も進められている。

 ③子どもの権利と性的搾取

 これは子どもの権利をめぐる状況においても同様で、日本が1994年に批准した子どもの権利条約においても、締約国が「あらゆる形態の」性的搾取及び性的虐待から子どもを保護しなければならないことが定められている(第34条)。
 日本は同条約に関わって2005年に「子どもの売買、児童買春および児童ポルノに関する子どもの権利条約の選択議定書」を批准しているが、国連子どもの権利委員会が2019年に採択した同議定書に関するガイドラインでは、「実在しない子どもまたは子どものように見える者」についての性的な表現物が大量に存在することや、そうした表現物が「尊厳および保護に対する子どもたちの権利に深刻な影響を及ぼしうる」ことへの懸念が表明されており、同議定書の締約国に対し、特に「そのような表現が子どもを性的に搾取する過程の一環として使用される場合」において、子どもの性的表現に関する法律上の規定に「実在しない子どもまたは子どものように見える者の表現を含める」よう奨励している(パラグラフ63、平野裕二訳)。

 こうしてみると、女性や子どもの性的な要素を断片化し強調する表現は、決して受け手の主観レベルの問題に収斂させることはできないだろう。むしろ、フィクション・創作物か、実在する女性・子どもかを問わず、そうした表現を選択し、あるいは許容すること自体が、性の商品化や性的搾取に寄与・加担し、性差別を助長するものとして、人権尊重やジェンダー平等の視点から、明確に批判・克服すべき対象と捉えられてきたことがわかる。

企業・法人の社会的責任が問われる

 勿論、ここに挙げた条約や計画等は、民間企業の営為を直接規制するわけではない。しかし、企業のコンプライアンスや社会的責任のあり方と関わって、企業活動の正当性が厳しく問われるなか、これらの条約等は、民間企業にあって、人権尊重やジェンダー平等に対する姿勢や取り組みを進める上での指標として尊重すべきものであることは言うまでもない。また、このことは営利企業のみならず、より公益的性格の強い社会福祉法人にあっても同様だろう。
 ましてや、京都市の場合、公立保育所の移管先となる法人に対しては、「国・市などの法令,通知等を遵守し,児童の健全な発育・発達を促すこと」が、より明示的に義務づけられている。
 やはり、性の商品化や性的搾取に寄与・加担し、性差別を助長し得る商品を取り扱う企業と密接な関係を有する法人が、保育園を運営したり、公立保育所の移管先となったりすることは、単に道義的・倫理的にみて相応しくないというだけにとどまらず、論理的に考えても、正当性を得ることは困難と言わざるを得ない。

保育所(保育園)と性的表現・性差別

 ①子どもの権利の保障を実現する施設として

 そもそも、保育所(保育園)とは、児童福祉法に位置づけられる福祉施設だ。
 児童福祉法では、その第1条において「全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのつとり、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する」ことが、第2条においては「全て国民は、児童が良好な環境において生まれ、かつ、社会のあらゆる分野において、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない」ことが謳われており、子どもの権利条約の理念の下で、子どもの意見を尊重し、子どもの最善の利益を優先するとの理念が明確化されている。
 このことからも、これまで子どもの権利条約等において明確に批判され、改善を求められてきた表現を許容し、あまつさえ、そこに商品的価値を見出そうとする企業と密接な関係性を有している法人が、子どもの権利を最大限保障し、またその最善の利益を最優先するべき保育園を運営したり、公立保育所の移管先となったりすることが適切ではないことは明らかだろう。

 ②包括的性教育の実施主体として

 なお、国連教育科学文化機関(ユネスコ)がWHO等と共同で作成した性教育の指針である「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」では、5歳からの包括的な性教育が推奨されている。ここでいう包括的な性教育とは、性に関する知識や技能のみならず、人権尊重やジェンダー平等の観点から、子どもが自己の性と向き合いつつ自尊感情を育み、多様性を認めながら、暴力を回避し、他者とより豊かな人間関係を築くことを目指すための教育であり、就学前段階からの積極的な取り組みが求められている。
 これに対し、一方で性の商品化を推し進め、性差別を助長する表現を許容し、あるいは積極的に選択しようとすることは、包括的性教育が目指す価値とは真逆の方向性といえるだろう。そうした企業と密接な関係性を有する法人が、矛盾なくこうした取り組みを進める主体たり得るのか、甚だ疑問である。

 ③女性の権利の保障を実現する施設として

 ところで、日本のジェンダー・ギャップ指数やジェンダー不平等指数が、世界的に見てかなり高い水準にあることは周知の通りである。日本は未だ性差別が根強く、ジェンダー格差が非常に大きい社会であることは客観的にみても明らかだ。
 そうしたなか、保育所(保育園)はこれまで、子育てや家事労働が女性の役割として固定的に捉えられることが多く、女性の自己実現の機会が奪われがちであった日本社会において、女性の自己実現を支援し、少なからずその社会進出を後押ししてきた場でもある。
 そうであるにも関わらず、女性の性的要素を一面的に断片化することで、既存の性別役割分担意識に基づく固定観念を強化する表現を許容し、あるいはそこに商品的価値を見出そうとする企業と密接な関係性を有している法人が、保育園を運営したり、公立保育所の移管先となったりすることは、保育所(保育園)がこれまで果たしてきた歴史的・社会的意義を否定し、積み上げてきた成果に逆行する事態であると言わざるを得ない。
 このことは、これまで保育所(保育園)の存在によって自己実現の機会を得て、社会進出を勝ち取ってきた女性たちを著しく愚弄し、傷つけることになるのではないだろうか。

運営法人を選択する機会が保障されていない

 もっとも、自分はこのようにA法人が保育所(保育園)を運営することに対し疑問や不安、あるいは怒りを覚える一方で、民間企業の活動を制限することや、こうした商品を制作・販売したり、それを購買したりすることを規制するよう求めているわけではない。
 また、B社が、同社の従業員のために企業内で保育事業を実施してきたことは、上述の保育所(保育園)の歴史的・社会的意義を考えれば、とても大切な取り組みだと思う。
 さらに言えば、A法人が現在運営しているC保育園についても、保護者が事前に情報等を収集する機会が保障された上で、そこに子どもを通わせることを積極的に選択したのであれば、その保護者がA法人とB社との関係性や、B社が取り扱う商品について了解している限りにおいては、否定されるべきではないだろう。
 しかしながら、A法人が公立保育所の移管先となることについてはどうだろうか。京都市では、民営化の対象となった保育所の保護者は、移管先を選択する機会も、移管先の審査・選定の過程に関与する機会も奪われたまま、一方的にその結果だけが通知される。
 自分は、京都市が開催した保護者説明会において、不十分ながら本稿で述べたような懸念や不安について質問してみたが、京都市からは明確な説明は得られなかった。
 このように、子ども・保護者がA法人を積極的に選択したわけではなく、また、十分な説明もなされない状態で、法人に対し疑問や不安を持つ保護者は他園に転園するしか選択肢がないというのは、「気に入らなければ出ていけ」と言うに等しく、あまりにも乱暴だ。

まとめ

 こうして整理してみると、やはり、少なくとも現時点ではA法人が公立保育所の移管先となることは著しく正当性を欠いているし、子どもや保護者の理解が得られるとも思えない。
 京都市では、移管先となる法人が「保護者の不安に最大限配慮し,保護者や保護者会の要望に誠実に対応するとともに,誠意をもって解決に努めること」が義務づけられているのだから、A法人には、納得いく説明と解決に向けた対応を求めたい。
 A法人が本稿に述べたような問題を真摯に受け止め、B社との関係性や、同社が取り扱う商品について改善を図り、保護者の疑問や不安が払拭されない限り、公立保育所の移管先となるべきではないし、仮に、充分な説明や対応を図れないのであれば、正当性を欠いた公立保育所の移管について早急に再考するよう促したい。

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