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845-903年(従二位・右大臣)
父:菅原 是善(参議) 母:伴真成の娘
子:菅原 高視 菅原 衍子(第59代 宇多天皇の女御-斉世親王)


菅原氏は大王の喪葬儀礼に従事した土師氏一族であったが、住んでいた地にちなみ改名した。道真の3代前から中国史を中心とした学者の家系となり、「菅家廊下」という私塾を運営。菅原 道真は藤原家の勢力に対抗する第59代 宇多天皇の信任を受け、多くの官職を歴任した。第60代 醍醐天皇の代では右大臣を務めるが、昌泰の変で大宰府外帥に降格され、2年後の903年、大宰府で亡くなった。連座して子息や関連の文官が処罰を受けた。

❶住んでいた場所

菅原院天満宮神社(京都市上京区堀松町)
菅原 道真の曾祖父から4代にわたって住んだと伝わる邸宅跡。

菅原院天満宮神社の産湯の井戸

❷宇多法王との関係

仁和寺境内にある菅公腰掛石(京都市右京区御室大内 一願不動)

❸ 清涼殿落雷事件後に祀られた北野天満宮

道真の死後、災厄が相次ぎ、没後20年の923年右大臣に復されて正二位を贈られた。しかし930年、清涼殿落雷事件が起こり、3ヶ月後に醍醐天皇が崩御。942年、道真を祀る社殿が北野に造営され、987年、第66代 一条天皇より「北野天満宮天神」の勅号が贈られ、993年には太政大臣が贈られた。

北野天満宮 三光門(京都市上京区御前通今出川上る馬喰町)
参道にある母君を祀る伴氏社
参道にある母君の御廟と伝わる伴氏廟

❹醍醐寺の隣にある菅公衣装塚

醍醐山を開いた理源大師聖宝と道真は、生前この地に墓を建てる約束をしていたと伝わる。大宰府から運んだ道真の衣装を埋めたという衣装塚がある。

長尾天満宮(京都市伏見区醍醐伽藍町)
菅公衣装塚

【全国の関連史跡】

● 菅原天満宮(奈良市菅原町)奈良時代の菅原氏の拠点だった地

菅原天満宮

● 大宰府政庁跡(福岡県太宰府市観世音寺)

大宰府政庁跡(福岡県)

● 大宰府天満宮(福岡県太宰府市宰府)919年 創建
● 防府天満宮(山口県防府市松崎町)904年 創建

防府天満宮(山口県)
大宰府へ行く途中、同族の周防国国司を頼り防府に立ち寄った。
亡くなった翌年、最初の天満宮が創建された。

『京都遠足』(P28)
https://www.worec.jp/03kyoto.html