愛宕山(あたごやま)
愛宕山は、南面の急な傾斜と山頂のコブが特徴的な山です。背後に亀岡市があり、山裾には桂川が流れます。愛宕山から雲が湧き都の天候が急変する事象や、都と外との境界にあることなどから、様々な史実と結びつけられてきました。
930年の清涼殿落雷事件での雷雲の発生や、1156年の保元の乱で讃岐国に配流となった第75代崇徳天皇が亡くなった後の舞台とされたり、法然と親鸞が1207年の承元の法難で配流される前に九条兼実と会ったという言い伝え、1582年の本能寺の変では亀山城を出陣した明智光秀が立ち寄ったことなど、史実・伝説・創作が混載され伝わっています。
701-703年頃、役行者と泰澄によって愛宕山に山岳信仰が開かれたと伝わります。781年、第49代光仁天皇の勅命を受け、和気清麻呂が愛宕山に5つの寺院を開き、愛宕五坊として栄えました。現在は、神護寺と月輪寺のみが残っています。
愛宕神社は全国に1,000を数えるという愛宕神社の総本社で、火伏(火難除け)に効験があるとされています。
京都を中心として、裾野には広く愛宕山への常夜灯や道標が残っています。
『京都遠足』(P8)
https://www.worec.jp/03kyoto.html