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戦乱・争乱

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時代の流れを変えたり、決定づけていった戦乱・争乱がありました。その現場を辿ってみよう。
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応天門の変

朝堂院の正門・応天門が放火され、藤原良房は第56代清和天皇に奏上し、伴善男に犯人とされた源信を擁護する。その後、密告から伴善男親子が逮捕され、伴氏・紀氏らが流罪となった。官職に携わってきた伴氏・紀氏が排斥され、藤原北家に権力が集中するきっかけとなった。 ❶再現された応天門(京都市左京区岡崎西天王町) 平安遷都1100年で創建された平安神宮に、8分の5の大きさで復元された応天門がある。 ❷平安宮朝堂院跡(京都市中京区聚楽廻東町) 応天門は平安京平安宮朝堂院の南門。現在の千本

昌泰の変・清涼殿落雷事件

昌泰の変901年、宇多上皇に近侍していた右大臣の菅原道真が、娘婿にあたる斉世親王を次の天皇に立てようとしているという噂が流れた。政治的に対立の立場であった第60代 醍醐天皇や左大臣の藤原時平らによって、道真は大宰員外帥に降格させられ、903年に九州で亡くなる。 ❶ 菅原院天満宮神社 (京都市上京区堀松町) 菅原道真の曾祖父から4代にわたって住んだと伝わる邸宅跡。 清涼殿落雷事件909年 藤原時平は39歳で他界。930年 都は干害になり、清涼殿で雨乞いについての会議中に愛

寛和の変

花山天皇が藤原兼家によって計略され、出家し一条天皇が即位する。兼家は外戚として摂政となる。藤原北家の中で兼家の流れが世襲摂関家となり、5男の道長は最盛期を迎えた。 ❶右大臣 藤原兼家の屋敷跡大将軍神社内 東三条社(京都市東山区三条大橋) 大将軍神社とは、桓武天皇が平城京鎮護のため都の四方に置いた神社。 ❷花山天皇が出家した現場元慶寺(京都市山科区北花山河原町) ❸花山天皇 紙屋川上陵(京都市北区衣笠北高橋町) 『京都遠足』(P28) https://www.worec