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昭和98年の産業構造が日本を滅ぼす

 日本ほど、規制の厳しい国はそう無いだろう。政府の成長戦略会議でライドシェアを口に出すことさえも許されないなど、呆れて物も言えない。

 先日、京都の大手タクシー会社の配車アプリで時間指定でタクシーを配車した。普段使うことは滅多に無いのだが、知人のために配車時間を指定したかったがUberが時間指定が出来ないため仕方なく利用した。
 場所を地図上で指定していたにもかかわらず、タクシー運転手から場所が分からないと電話がかかってきた。意味が分からない。そもそも電話をする意味が全く無い。こちらはスマホで作業をしているのに、その邪魔をされる。チャット機能があるのだからそれを使えばいい。さらに京都の様な碁盤の目の都市のメインストリートで場所を間違えるなど意味不明である。結局知人を寒い中少し待たせてしまった。

 そもそもこのドメスティックなタクシー会社のアプリやGOは、Uberと比べてインターフェイスにしろデザインにしろ何もかもが終わっている。2000年代後半のスマホ黎明期のアプリにしか見えない。こんなクオリティのアプリとサービスが蔓延っている自体、この国は終わっている。
 国外でUberやLyftなどのライドシェアを利用したことのある人なら、いかに便利か分かると思う。言葉が分からなくとも目的地に連れて行ってくれるし、料金も勝手に決済される。北米や中国大陸では空飛ぶクルマのライドシェアが始まろうとしている中、日本は地に足ついたライドシェアも始まっていないなどどうなっているのか。
 タクシー会社が残るメリットは全く無い。運転のおぼつかない高齢のドライバーに当たるケースも多い。さらに過疎地ではタクシーがまともに走っていない場所も多い。ライドシェアがこれらの解決策になるのは、海外のケースを見れば至極当然である。

 タクシー会社を残すために規制が蔓延る昭和98年の産業構造がこの国を滅ぼしかねない。社会主義を掲げる岸田首相のおかげで、菅首相が進めた規制改革の流れが逆行している。いい加減まともな国にはならないのだろうか。

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