なぜ東京から京都に引っ越してきたのか/自己紹介
みなさんこんにちは、はじめまして。
これまでも読んでくれていた方、いつもありがとうございます。
あらためて、自己紹介をしたいと思います。
修学旅行の印象でなんとなく京都が苦手と思い込んでいた私。
それなのに東京からなぜ京都に引っ越したのかまとめてみました。
よろしければお付き合いください。
東京で暮らすのはもうムリかも…と思う毎日
私は3年だけ愛知県に暮らしていた時間を除けば、生まれてからずっと東京に住んでいた。
出身は池袋。かなり大きな繁華街で、 JR3路線、東京メトロ3路線、私鉄2路線が乗り入れるターミナル駅だ。東京で暮らす方ならわかると思うが、朝のラッシュアワーは本当にひどい。リンク貼ろうと思ったのだけど見てたら気持ち悪くなったのでやめた。
それでも東京は生まれ故郷だし、どうして地方出身の人が「東京は嫌だ」と口を揃えていうのかあまりわかっていなかった。
が、歳を重ねるにつれて、だんだんと東京で暮らすことが難しくなってきてしまった。その理由はこんなことが挙げられる。
登山や旅行することが趣味だ。自然の中にいる時間が大好きで必要な時間である。
東京はどこに行くにもアクセスがよく、あちこちに旅行に行けるし、電車で1時間も行くと山に登れる。街中に公園も多いし街路樹もある。
それでも、生活空間に自然がないことが少し苦しくなってきてしまった。
また、街はいつも混雑しているし、みんなイライラしている感じがする。ラッシュアワーは特に。街を歩くと人が多すぎてぶつかったり舌打ちされたり。電車もいつもものすごく混雑していて、体が触れる。
なんてことないことばかりかもしれない。それでも、私の中にずっと違和感がつもりつもっていったのだった。
もっと心を穏やかにできる環境で暮らしたい、そう思っても
SNSや雑誌などで「湘南に引っ越して時々東京に出社しています」とか、「コロナ禍で熱海にマンション買いました」とか楽しそうな話を見たりしても、「いいなー」とは思っていたが、自分には縁のないことだった。
知らない土地に引っ越してから仕事を探すなんていうことは年齢的に難しい。仕事が一番多いのはやっぱり東京だし、生活することを考えたら東京から出るなんてこと…絶対に無理だったのだ。
また、仕事以前に、私には持病がある。
20年前に治らない病気にかかった。なかなか良くならず、10年前のいちばんひどかった時は何も食べられず、薬局でもらってくる栄養補助の液体のみで生きていた。
睡眠も取れなかったので、その時はひどい顔をしていたと思う。
「私はもう二度と、一人で生きていくことはできないんだろうな」と真剣に思っていた。誰かの手を借りないと、病院や施設でないと生きていけないんだろうな、と。
だけど、その後いい先生との出会いもあり、少しずつ動けるようになってきた。
食べられるようになり、眠れるようになり、付き添いがなくても1人で電車に乗れるようになり、近所をウォーキングできるようになり、それから少し経って、週3のアルバイトをできるようになり…少しずつ、少しずつ。
歯を食いしばりながら10年リハビリを続けて、今ではフルタイムで働けるようになった。
お世話になった先生はじめ、たくさんの人のおかげで今がある。
仕事で疲れ切ってSNSでみた鴨川デルタへ行ったことが転機に
2022年の春、私は疲れ切っていた。
心と体を癒すために桜を見たい、でも東京はどこに行っても混んでるし酔っ払いがたくさんいるし…と思っていたところ、SNSで京都の鴨川の桜の写真が流れてきたのだった。
そこで見た鴨川は、人が地面に座って思い思いに桜を見たりぼんやりしていて、とても素敵なところだった。「私もここでぼんやりしたい!」とすぐにサイトから新幹線のチケットを予約したのだった。
ふらっと何の予定も考えず新幹線のチケットと宿だけ予約してきてしまったのだが、京都は本当に素晴らしかった。
100%自然の中では生きていけない。
でも、100%都会でも生きていけない。
そんな私に、京都で住むという選択肢は、「あり」なんじゃないか?と思えた。自然と、文化と、都会と、いいバランスで成り立ってる街なのではないか。
東京で生きてるだけで心と体がすり減り、悲鳴を上げるような毎日から、脱出できるんじゃないか。
そう思えたのだ。
仕事は完全在宅、上司だって「いいね!」と応援してくれる、あとは自分の「無理なんじゃないか」という思い込みだけ
2021年に転職し、フルリモートの仕事に就いた。
人も環境もいい会社で、自由度が高い働き方ができる。フルリモートなので引っ越したいという話にも、上司からは「海外なんかもいいんじゃない?」と言われるくらい(ビザとか大変そうなので今回は国内にしておきます)。
そうなると、フルリモートで働いているからいつでもどこでも仕事ができるし、京都に住めたらいいなと思っているのに、それでも引っ越すことは難しいと思う理由は……
ここでストッパーになったのは自分の自信のなさや勇気のなさだった。
京都の人と自分は合わないかもしれないとか、冬寒いとか夏暑いとかいうし、とか、フルリモートの仕事もいつまでするのかわからないし…とか。
食べることも眠ることもできなかったのはたった10年前、わりと最近だと思っている。もっと、地道に、体を壊さないことだけを考えて、無理のない道をいかないとダメなんじゃないか…という強い思い込みがあった。
ちょっと話は変わる。
東京に住んでいたある日、私の住む団地内の公園でインド人の女性たち10名ほどが歌って踊っているのを見かけた。もともとインド人がたくさん住んでいる団地だったが、こんなに大勢集まっているのは初めての光景だった。
赤とゴールドの派手で綺麗なサリーをまとって、ラジオで大きな音を出しながら歌って笑って、それはそれは楽しそうに時間を過ごしていたのだ。彼女たちがまぶしかった。
どうして彼女たちは異国でこんなに楽しそうに暮らせているのに、私は東京を出られないのかな…
こう思ってしまってから、私は引っ越しを真剣に考えはじめたのだった。
春に鴨川に行ったのが2022年。
夏の暑さを確かめるために2022年夏に京都を下見。
2023年春には、具体的に住みたいまちを意識しながら、またまた京都を下見。
下見を重ねることで、街の雰囲気を掴んでいった。私が接した京都の人はみんないい人ばかりで、とても優しくしていただいたのがうれしかった。
自信が持てなかった、自分の気持ちの穴を埋めるように下見を重ねることで、少しずつ引っ越せるかもしれない、という実感のようなものが湧いてきた。
下見で住みたい街、エリアは決まっていたので、あとは東京で何日も何日も不動産サイトで物件情報をあさる毎日。そのなかで、ここに住みたい!という物件があり……
2023年夏には内見、即決して申し込み。
とうとう、2023年秋に引っ越し…!
そして、私は勇気と貯金をふりしぼって京都に引っ越してきたのだった。
そして「京都移民日記」につづく
2023年秋に引っ越してきて、これを書いているのは2024年の冬の終わり。
引っ越し前はものすごく気が張っていて、「京都に引っ越してみて合わなかったら3ヶ月で東京に帰って来ればいい」なんて思っていた。
しかし、そんな心配は何もいらなかった。鴨川デルタはあいかわらず平和で自由だし、人はぴりぴりしてなくて過ごしやすいし、色も音も穏やか。何より山に囲まれていて気持ちがいい。
毎日心から安心して暮らしている。
楽しく、穏やかに京都で暮らせている。10年前の私に「10年後、フルタイムで完全在宅の仕事について、京都に引っ越してるよ」と教えてあげたい。その頑張りは未来に続いてるよ、と。
とにかく毎日楽しい。たとえばこんなこと。
京都で見つけた楽しいことや、感じている毎日の想いなどをnoteにまとめて書くことで、楽しい毎日にブーストがかかっている。
京都の観光名所は私は書けないのだが(人が多いところと観光名所が苦手なので)、生活者の見る京都をそのまま伝えられたらいいなと思っている。
もしよろしければ今後も読んでいただいたり、スキをいただけたり、コメントをいただけると、とても嬉しいです。
派手な部分がない日記だけれど、滋味のある文章を書けたらいいなと思っている。
今後ともどうぞお引き立てのほどよろしくお願いします。
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