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ヴィーガン文学研究ってなに??

The Edinburgh Companion to Vegan Literary Studies
「エディンバラ版ヴィーガン文学研究必携」
Edited by Laura Wright, Emelia Quinn
September 2022 (Edinburgh University Press)

ヴィーガンかー。
かんたんに説明すると、ベジタリアンが肉や魚を食べないのに対し、ヴィーガンは、乳製品なども食べない、いわゆる「完全菜食主義者」。

はじめに言ってしまうが、私はベジタリアンでもヴィーガンでもない。なんでも食べる。ブルーチーズ、くさや、飯寿司などの、いわゆるクセのある食べ物を、「なんでも経験だ」と言って食べさせる父のもとで育ったので、食べ物の好き嫌いはないほうだ。

ベジタリアンやヴィーガンを否定するつもりはない。それぞれ信じるところによってベジタリアンであったり、ヴィーガンであったりするのだから、その信条を他人がどうこう言うべきではないと思っている。尊重されるべきだろう。

宗教的な理由で特定のものを食べないというのも、その人の自由だ。

でも、ベジタリアンやヴィーガンをかんがえるときに、いつもモヤモヤしてしまう。あげ足取りと思わないでほしいんだけど、動物を殺すのは残酷だから食べない、というとき、「え?じゃあ植物は?」って思ってしまう。

植物だって生きてますけど。

植物の命を絶つことは、残酷じゃないの?

こういうのって屁理屈って言われるのかなぁ?

でも、人間は、生きているものの命を奪って体内にとりこまないと生きていけない。そういうふうにできている。動物だろうが植物だろうが。

私は宗教に詳しくないけど、生きる根本のところで他の命を奪わなければ生きていけない、ということを、キリスト教では「原罪」、仏教では「業(ごう)」って言ってるんじゃないかな。

だから、食事の前には、生きていた命にたいして、その命をありがたく「いただきます」というのだと思う。

あとは、ロアルド・ダールの短編だったように思うのだか、牛と意思の疎通ができるようになる話があった。けっこううろおぼえなのでもしかしたら牛じゃなかったかも。でもここではとりあえず牛ということにしておく。とにかく科学の進歩により、牛の言うことがわかるようになる。牛の言葉を聞いてみると、「タベナイデ」と言っていた。牛には高度な言語能力があった!しかも牛は食べられる恐怖におののいている!なんてかわいそうなんだ!牛に同情する世論が高まり、食卓から牛肉が消えた。そしてしばらくすると、豚とも意思の疎通がはかれるようになる。豚の言葉は、「タベナイデ」。豚肉も食卓から消える。そして鳥も。。。かくして人類はベジタリアンになった。ところがある日、キャベツと意思の疎通がはかれるようになり。。。という話(だったと思う)。

科学者たちには、くれぐれも動物や植物と意思の疎通をはかれるようになる発明などしてくれるなと言いたい。

そういえば、もう10年以上前になるが、岩石についての洋書の日本語版を作るという企画をお手伝いしたことがあった。本来は洋書の仕入の仕事しかしていないのだが、洋書の版元からうちの会社に日本語版の話が来たので、いきがかり上、関わることになってしまった。

日本語への翻訳は、鉱物学の研究者で60代の日本人女性だった。初めてお会いしたとき、白髪交じりでパーマのかかったセミロングヘアで、黒っぽい服だったので、「魔女みたい」と思い、ちょっとコワかった。でも話してみるときさくな先生で、翻訳もしっかりしていた。

はじめて本を作るという仕事にかかわったからよくわからないのだが、あんなにすったもんだするもんなんだろうか。とにかく本づくりは大変だったが、それでもどうにかこうにか出版することができた。

刊行記念のささやかな打ち上げを、根岸のちゃんこ鍋屋でひらいたとき、先生にどうして鉱物学の研究をすることになったのか、きいてみた。すると、動物の研究だと、実験と称して動物を殺してしまうのがイヤだったし、植物の研究も、植物を採取して、実験のために切り刻んだり、枯らしたりしなけらばいけないのがイヤだった、だから石や砂の研究をすることにした、と。

私はすくなからず感動した。こんなに心優しい人がいるということに。まあでも、その先生はちゃんこ鍋屋で、肉も野菜もごく普通に召しあがっておられたが。。

そんなわけでヴィーガンにたいしては、なんとなく苦手意識というか、わりきれない思いがある。

で、今回紹介する本なのだが、「ヴィーガン」のあとに「文学研究」がつづく。聞いたことがない。新しい分野なのだろう。

ヴィーガンが苦手でも、新しい分野とくれば注目しないわけにはいかない。この分野がめざましく発展していくか、文学研究のなかでもマニアックな一分野におちつくかは、まだわからないのだから。

ちまたでは、完全菜食主義を意味するヴィーガニズムだが、そもそもは「動物からの搾取や残酷な行為をできるかぎりおこなわないこと」という思想のことで、それはたんに食べ物にとどまらない。革製品、ウールやシルクなどの動物から得たものを使わないとか、動物実験、動物園、水族館に反対することなども含まれる。いってみれば動物愛護や環境保護に近い考えなのだ。

ヴィーガニズムは、「アニマル・ターン」という考え方とともに現れた。アニマル・ターンという言葉がよくわからなかったが、どうやら人が動物をどうとらえているのか、動物と人との関係性に着目する考えらしい。動物本位、というか、動物重視というか。日本では「動物観研究」といわれるらしい。

でもヴィーガニズムは、そこまで動物重視というわけではなく、というか、本書の解説では、動物を尊重するという理想と、じっさいの現実とをどうすり合わせていくかという態度ととらえられているらしい。

だから、ヴィーガン文学研究は、その題材を文学にとって、文学のなかでヴィーガニズム的な思想がどういう形で見られるかを研究していく分野といえる。たとえば「ヴィーガニズムと人種」「ヴィーガニズムとジェンダー」という視点で文学を考察するし、その範囲は純文学にとどまらず、哲学的なエッセーやスペキュレイティブ・フィクション、詩やグラフィック・ノベルなど多岐にわたる。

と、ここまでわかったような顔をして書いてきたが、じつは私もどういう研究なのか、ふわっとしかわかっていないのだ。

本書はcompanion=手引、ガイドなのだから、この分野のことをてっとり早く総合的に理解したいときに、最良の知識を与えてくれるだろう。

日本だとこういうcompanionの役割ってなにかな? 新書かな?

だれか新書でまとめてくれないかな。

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