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うつけんスクール2 _2023.6.8

講師は、石川えり先生
認定NPO法人難民支援協会 代表理事

少し前まで「難民」と聞いただけでは、難民の意味、どういう人をさすのか等々きちんとした理解はなかった。安田菜津紀さんの本や、youtubeのラジオで情報を得て、ようやく「知ってる」と言っていいかわからないけど、難民問題と少なからず向き合うことができた。主にウィシュマさんの死後、様々なことが明らかになって、どういうことなの?と思ったことは記憶に新しい。この問題、大きくとりあげるべきだし、今回入管法改悪反対で、すんごく大きなデモもあったのにテレビでも報道されない。この問題は外国人だけの問題なのだろうか。
個人的な経験の話になるが、私は強制送還をくらったことがあり、そのとき一晩だけだったけどいろいろなことがあって、人生指折り数える不安な夜だったことを思い出す。その中には、やたら厳しくて冷たい人、泣きそうになるくらい優しいカウンセラーさん、私のために怒ってくれる昨日まで全然知らなかった人など、もう本当に数えきれないくらい様々な人と関わった。また、理由は違えど同じ状況下にいる人たちとも話せて、ちょっと人生の見方が変化したように思う。人の気持ちに寄り添うことってこういうことなのかと身をもって体験したというか。言語化はむずい。そして強制送還と、この入管法は全く別のものだとわかっているけれど、入管法改悪の問題考えたとき、このことを思い出してしまった。

とはいえ、自分の今の日常とは少し離れたところに「難民」という存在があるし、日常的にこの問題にコミットできていない。なぜなら、近くに「私は難民だ」という人はいないから。じゃあどこにいるのか。同じ背景をもつコミュニティーや同じ地域がずっと難民を支えているということ。難民を支えている人が限定していて、結局コロナで支えきれなくなってしまったらしい。難民を受け入れられない社会が問題、そう大大大問題なんだよなぁ。日本は難民を受け入れますと言っていて、受け入れられるのだから。技能実習生(という名前をつけて)じゃばじゃば受け入れて就労させて(これはこれで問題ないわけじゃないが)な・ら・ば!自国から命からがら逃れてきた人に対しても難民資格を与えて就労できるようにすればいい。正規労働者としてだけなら受け入れますよって、なんか経済効果があるならオッケーっていってると同じ・・・モノじゃないんだから。なにかモノの使い方のルールを決めているみたいで、人間として扱ってないように感じる。人間、そして隣人だという認識を持ったら、共生社会を実現できるのではなかろーか。

外国人は治安を乱す存在?という考え方が続いているらしい。これについては、私の周りでは、難民=治安が悪い と直球で言う人はさすがにいないけれど、そういった差別的な発言を聞くこと、正直ある。有色外国人がいるエリアには住みたくない、こわいからとか、同じ学校に子供通わせたくない等々。一応話はきくけれど、絶対に共感しないで、それから、知識でマウントをとらないように私はマイノリティーである当事者の立場に立つように努めてはいる。日本に生まれて日本に暮らす我々がマジョリティーであることを忘れてはいけない。自分のマジョリティー性に気づくことって、本当に難しいんだと思う。

宇都宮先生が言っていたように
難民保護は入管庁から独立させるべき
司法の判断
第三者のメスを入れる
ということがなぜできないのだろうか。

難民審査がずさんだってわかりきっていて、それをそのまま賛成するような法案。本当にやめてほしい、やめるべき。差別の法制化。最低最悪。

石川先生のお話で、
写真とともにこの人は〇〇という街に住んでいて、でも戦争のせいで、シリアから逃れてきて・・難民申請して、家族を呼びたくて、、、と説明されるとぐんっと理解が深まるのはなぜだろう。感情移入してしまいそうになるし、受け入れがたい事実から逃げ出したくなってしまう。
難民認定する審査員にもひどく偏りがあり、結局のところ「難民なんていませんよ」という審査員が多くの審査をしている現実は、今の日本らしいというのがふさわしい。悲しい日本社会の姿である。弱者に対してのセーフティネットのなさ、聞こうとしない、聞く耳をもたない政府が重罪である。もうかいててしんどくなってしまっているが。。

石川先生はもう30年以上難民支援に関わっているらしく、それはなぜかという質問に対して、「彼らと行きていくことが心地よい」と答えていたことに感動した。それから、サーロー節子さんを思い出した。(理由ははぶく、私はわかる)

実際何にもできないけれど、きっと大どんでん返しも期待できないけれど、ちゃんと難民問題にフォーカスすることをやめないこと、有権者として関わっていきたいと誓う。


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