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韓流ショップへの途中、昭和な空き地にトリップした話


先日帰省した時のこと、母から近所に韓流ショップがあると聞き散歩がてら覗きに行ってみた。

運送会社の跡地にあるらしく、トラックが停まっていた駐車場には観光バスが列をなすほど、一時期は凄い人気だったらしい。地方都市、地下鉄駅から15分の所に韓流ショップとは、一般人には想像もできない展開だ。

この辺りも昔は子どもの声がよく聞こえた賑やか地域だったが、今では国道を走る車の音ばかりが耳につく。

町内会長さんだったお宅も、引っ越したのか亡くなったのか、今風のおしゃれなアパートに建て替えられ、老夫婦が経営していた仏壇店は焼肉屋のチェーン店に姿を変えていた。

ここもあそこも変わったと歩いていくと、30台も駐車できるだろうか、広い屋外パーキングの前で私は足を止めた。ここはよく覚えている、かって私がよく遊んだ小さな空き地があった場所。

その空き地は、車が二台も縦列駐車するといっぱいになってしまうほど細長く小さかった。といっても、小学校低学年の私が勝手に空き地だと思っていただけで、実際は、その奥の家の車庫、裏玄関に続く路地だということを随分後になって知った。

右側には手入れの行き届いた木々が並び、足元には小さな草花が植えられていた。手持ち無沙汰な子ども達が花を摘んだりするものだから、葉ばかりの草の茂みになっていた。

私を見下ろす木々は、初夏にはライラックの紫の花をふさふさと付けた。
さすがに、これには手が届かず、小さな空き地の上を気持ちよさそうに揺れていた。

左側には二階建ての古い市場があった。
入っているのは八百屋や魚屋、肉屋などの小さな商店で、空き地に集まるのは親の店仕舞いを待つ子ども達だった。

市場との間には高さ1.5メートルほどのブロック塀が、車庫まで約5メートル続いた。灰色に汚れた市場の壁と塀の間には、大人がようやく歩けるほどの狭い通路があり、それは二階の公衆トイレへと続く階段への通り道だった。

市場で働く人たちがトイレに行く度に、塀の上から顔だけを覗かせ、ひと時足を止め、私たちの遊んでいる様子を眺めていく。
自分の親かと、子ども達は一瞬視線を向けるが、
「違った…」
何事もなかったように遊びに戻る。

当時、私の母も父の商売を手伝っていた。学校から戻ると家には人気がなかった。ガラガラと滑りの悪い玄関の引き戸を開けると、部屋に反響する音が親の不在を暗示する。毎日同じように期待し、そして同じように寂しい気持ちになる。

土曜日のお昼には出来立てのホットケーキにとろけるバター。
頬張る私を笑顔の母が覗き込む……夢に見た昭和40年代ごろに流行ったCMまがいの光景は、一度も現実のものとはならなかった。

そういう事情もあり、この頃の私は毎日この空き地で遊んでいた。
ここに来れば、同じ境遇の子どもが誰かしらいたからだ。

空き地に集まるのは、三つ年上の八百屋のゆっこちゃん、弟のとっち、ひょろっと背の高い魚屋のみのる、私と同い年の果物屋のまぁちゃん。私の家は酒屋で、閉店時間が一番遅く、遊びに夢中になっているうちに、一人ぼっちになっていることがよくあった。

ゴム飛び、石けり、缶蹴り、縄跳び。毎日色々な遊びに夢中になっていたものの、私はどの子も特に好きではなかった。年上に従うという暗黙のルールのようなものがあり、なんとなく居心地の悪さを感じていたからだ。

小さいもの、弱いもの、後ろからついてくるものそんな私についてるレッテルが嫌だった。塀に囲まれた小さな世界、その中で私なりに居場所を探し一生懸命に生きていたのだと思う。


ある日、小さな事件が起こった。

いつもの様に空き地に行くと、ゆっこちゃんが幅二十センチほどのブロック塀の上に危なげに立っていた。
羨望のまなざしで見上げる子ども達に、彼女は自慢げに二、三歩フラフラと歩いてみせた。

 「ここから飛べない人は、もうここで遊んじゃだめ」
 意地悪な口調で言うと、彼女のからだは宙に浮いた。

ゆっこちゃんのエンジ色のスカートがふわっと広がり、小石が ”ザクッ”と音を立てた。
 「わぁー」
 驚きとも尊敬とも言えぬ声が、子ども達の中から上がる。

しかし、私の心中は穏やかではなかった。
死ぬか生きるか、飛ぶか、仲間外れになるか。
逃げ場のない恐怖で胸が張り裂けそうだった。

一人、二人とその恐ろしい儀式は行われ、遂に私の番が回ってきた。

崩れかけたブロック塀に足をかけ、恐る恐る塀の上に立った。
高さ1.5メートルの塀の上からは、空き地の全てが見渡せた。
今まで知らなかった世界、木々が濃い緑に光輝き、風がそよぐたびにライラックの香りが近づいてくる。
その向こうには、青い空がどこまでも広がっていた。

私を見上げる子ども達の顔が、なんだか間抜けに見えた。

 ”ジャンプ!”
 私は足に力を込めて、塀を蹴った。


時が経つにつれ、一人二人と集まる子どもの数も減り、私も知らぬ内にその小さな空き地から卒業していた。



その空き地はもうない。

市場とブロック塀は壊され、砂利道は舗装されコインパーキングとなってしまった。自動販売機と歯医者の大型看板が煌々と光を放っている。
とても昭和で、ある意味健気で、そして逞しい私がその空き地で遊んでいたのは、看板の中に笑顔で収まる若い歯科医が生まれるずっと前のはなし。

空き地の変わりようには寂しくもあったが、私もこんなに変わってしまったのだからお互い様かもしれない。
ゲーセンや居酒屋なんかになっていなかったことに、ちょっと安堵しながら韓流ショップへの道を急いだ。


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