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大学生の僕はユニフォームを街中で着れることを望んでいるか

コラムも5日、慣れない口調で続けてきたものの4日も続けると徐々に慣れてくる部分もある。やり続けていけば、何か自分の中で成長していくものがあると信じて、今後も誰にも触れられなくとも、続けていこうと思う。

今日はある記事を見た時に思った、僕の率直な感想を述べてみたいと思う

それはこの記事を見て欲しい。


街中で着ることができるをコンセプトに着ることができるホームを作ったというカンボジアのチームの話だ。ちなみにこの前身チームのユニフォームは以前に購入したことがあって、少し馴染みがある。

僕はこの記事を読んだ時に、最初はすごくいいなぁと思った。今Jリーグクラブのユニフォームはすごく高い。具体的には僕の応援するクラブのユニホームは大体2万円ぐらいするし、ネットで見かけたチームは1着で3万円するところもあるそうだ。2万円なんて僕の1ヶ月の食費に値する。いや3万円でも僕にとってはかなり多い方の食費だ。

ただ選手と同じユニフォームを着用して応援をすることはサッカー観戦の文化のようなものであると思っているし、ユニフォームを買うか買わないかという部分が、クラブの愛を試されてるような気がするので、どうしても買ってしまう。サッカークラブを愛する者にとって、この2万円の出費はマストなものなのだ。

それにしても、普通の人の感覚ではペラペラなシャツ一枚に対して2万円を払うというのはとんでもなく頭のおかしい行動であるとよく言われる。普通の人の単独ではTシャツだったらだいたい出せて3000円ぐらいというのが僕の周りの人の金銭感覚だ。僕もサッカーチームのニューユニフォームじゃなければ、それ以下ぐらいしか出せないと思う。

しかもサッカークラブのユニフォームは洗濯をする時も気をつけなければいけないし、普段街中に来ていくこともできない、J2の場合だったら42試合のうちホームの21試合しか着ることができないのでとてもコスパが悪い。正直に言うと、今年はユニフォームを買うかどうか、コスパが悪すぎるあまり迷った。違う部分にお金をかけることで、愛を示せばいいのではないかと思った。

(結果として無事に購入している僕)

だからこそ、ユニフォームの値段を下げるのではなくて、街中に着ていくことができるというコスパの良さを高めることで、ユニフォームの購入枚数を増やそうとする狙いはとても合理的だと思う。また胸スポンサーを廃止するという大胆な施策もとても勇気のある行動で素晴らしいと思う一貫性の軸があって、何か応援できるものがある。

ただ、僕は写真を見たときにこのユニフォームを街中で着ていくことはできないなということを思った。まだ街中で浮いているのだ。いや、正確に言うと浮いてるように見える。

サッカーユニフォームを日常的に寄せるということは、ユニクロだとかその他の洋服ショップの洋服と競争することになる。僕はとてもシンプルな洋服が好きなので、何もロゴが付いていない単色のT、シャツだったり、パーカーを好んだりする。中身が変態な分、外身だけでも正常に寄せたいと思う意識があるのかもしれない。

だから、今のこのチームの取り組みは僕にとって見るとスタジアムの非日常感を失わせる上に、日常生活でも使うことができないユニホームという中途半端な立ち位置になってしまった。確かにコストパフォーマンスを上げるうえでユニフォームの着用回数を増やした方がユニフォームを購入する側にとっては、お得であると言えるだろう。そして、町中にリフォームを着て行く人が増えれば一体どんなチームなんだと言って自分のチームに対して興味を持ってくれる人が増えるかもしれない。

ただ、大学生である僕の一般的感覚を信じるのであれば、このユニフォームを街中に着ていくことはまだできない。僕が田舎に住んでいるからということもあって、街中に着ていくととても変な目で見られてしまうということも一つあるかもしれない。

ユニフォームを購入する人は、それを洋服やファッションというカテゴリーで購入するわけではなくて、スタジアムに来ていくための正装として購入をしていると考える人が多いと思う。統計的データもないので、僕の勝手な直感

だから、街中で自分たちのチームのロゴを広めて欲しいのであれば、パーカーだったり、その他のTシャツだったり、ユニフォーム以外の部分で勝負することはできるんじゃないだろうか。カンボジアの文化のことだったり、カンボジアの人が街中でどんな服装をしているのかっていうのは僕にはわからないけど、これが日本だとまだまだ成功する確率っていうのは低いのかもしれない。

しかし、もしこれから移民が入ってくるとすれば、日本の文化が少しずつ変わっていくことを受け入れる体制に入ってくるのかもしれないので、そういったタイミングで日常的なグッズを展開してみてもいいんじゃないだろうか。

結果的に言うのであれば、僕はユニフォームはサッカーチームらしいものでいいと思う。そうでなければ、毎年にフォームを購入する必要がなくなる。そして、街中に着ていくことができないような服装で応援をしているという異質な空間の特別性を損なわないためにも、サッカーのユニフォームを日常に寄せてしまうのはよく考えた方がいいと思う。

ただ、本当にコスパの悪いユニフォームを購入することに対して抵抗が出てきた。ユニフォームを着用せずとも、サッカークラブを応援することは可能だ。愛が試されてるなんていうことをさっき言ったけども、それはただの自意識過剰なんだと思う。

だから、僕としては値段を下げるという形でもっとコストパフォーマンスを向上させてあげた方がファンとしては嬉しいのではないかなーと思うし、僕も子供の時にユニフォームが高すぎたせいで大好きな選手のユニホームを着ることができなかった。アビスパ福岡の子供のユニフォームの値段は、それでも15000円を超える。それのお金を出すのは全て親だ。

ユニフォームが発売するシーズンは、お年玉もクリスマスも遠いので、ちょうどユニホームが買えないのである。僕の場合は、お年玉は全て親に回収されてしまっていたので、お年玉があったとしても、ユニフォームを買うことはできなかったし、クリスマスの時だと、シーズンは終わっていた。それに子供は周りとの話題についていくために流行りのものをどんどん買っていかなければならないのでユニフォームおねだり、暇なんてなかった。

ただ、僕は今でも後悔をしていて、初めて自分の好きなクラブを見始めた年のユニフォームを今でもオークションサイトで探している。そして今でも見つかっていない。

サッカークラブのユニフォームは平気で1万円を越してきたりするけども、それは高すぎると思う。いや、大学生の僕はそう感じる。みんなが街中で着ても違和感がなくなるユニフォームというのは、デザインよりも手に入れやすい価格の方が大事だと思う。

こんな大学生の戯れ言でした。

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