あの日あの夏、千川で。錦鯉・長谷川まさのりさんのこと
錦鯉が、キリン一番搾りのCMに出ていた。
もうすっかりベテラン芸人の風格だ。
実は錦鯉のお二人、なかでも長谷川さんは10年くらい前から見かけていた人だった。
私の住む街は千川。東京メトロの有楽町線と副都心線が通っている駅だ。その近くに「びーちぶ」というSMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)が持っている劇場があり、錦鯉はそこに出入りしていたのだ。でも当時の私は、そんなことは全く知らず、そもそもお笑い自体にそれほど興味がなかった。
ラーメン屋「つけ麺道たけし」があって、セブンイレブンがあるこの出口には、何となく普通のサラリーマンっぽくない人が出入りしているなと思っている程度だった。
そんな時、真夏の暑い夜、コンビニの前の車止めの柵に腰掛けている、スキンヘッドで派手なアロハシャツを着た男性に目が止まった。
色黒で目鼻立ちのはっきりとした顔立ちで、外国人かな?と思って何となく顔を見たら、まっすぐに見返してきた。面食らった。そういう行動を取る大人はインドや東南アジアでしか見たことなかったからだ。
その後、その人は駅のホームにいたり駅前で誰かと話していたり、たまに見かけるようになった。
そして、またある夏の日、今にも夕立ちが来そうな空の下、交差点の前で、その人とハットをかぶった同じく派手なシャツを着た中年男性が何やら言い争いをしていた。言い争いというよりも、ハットをかぶった人がスキンヘッドの人に一方的に何か文句を言ってる感じ。
ただならぬものを感じた。淡々と過ぎてく日常の中で、そこだけがなんだかリアルで生々しかった。
だから錦鯉がM-1で優勝した時は驚いた。
最初は長谷川さんが、あの千川駅で見たスキンヘッドの人だとは気付かなかった。だいぶ、ふくよかになられていたからだ。人相も柔らかくなっていた。
知ったのは、過去の映像が流れた時。
派手なアロハを着た痩せた長谷川さんと、ハット姿の渡辺さんにあっ!あの時のふたりだ!と懐かしくなったし、その時の私の状況も思い出して切なくなった。
その後の錦鯉の活躍は周知の通り。
長谷川さんや渡辺さんのこれまでのストーリーも何度も描かれ、ドラマにもなったけど、私が一番驚いたのは長谷川さんのあまりの純粋さだ。
50代まで、ここまでまっすぐに生きてきた人を見たことない。風呂無しアパートの貧乏生活でもパチンコ依存症になっていても、夢を諦めなかったのは、何となくやめるタイミングがなかったからと言っていた。だけどコロナ禍で活動ができなくなっても、毎日一ギャグのような短い動画をUPし続けていた。それをアドバイスしたのはハリウッドザコシショウだ。
周りの芸人が売れていったり、もしくは解散や引退をしていくなかで、心をすり減らさないで日々のルーティーンをしていたのは凄いと思う。
お母さんと電話しては泣き、まっちゃんに褒められては泣き、よく泣く姿にこっちも泣き笑いした。ラジオも最初から聴いて、後輩から300円を借りて焼きそばとジュースを買った話から、M-1の賞金と副賞の牛一頭どうする?みたいな話を聞くにいたっては、それこそ冗談のようだった。
ラジオを聴きながら声を出して笑ったのは初めてかも知れない。
コロナ自粛が解禁されてまもなく、千川びーちぶにも行ってみた。何組もの芸人さんが平日夕方から漫才を披露していた。入場料は500円だった。
なんて贅沢で熱い空間なんだろうと驚いた。
私を含め2人しかお客さんがいない日もあったけど、コロナ後でたいした仕事もなく、誰とも話さない日の夕方、500円を握りしめて、びーちぶに行き漫才を聞いていたら目の前が明るくなった気がした。ありがとう、びーちぶ。
錦鯉はもう千川で見ることはないけど、またびーちぶには行きたいと思う。
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