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坂口征夫引退試合

プロレスって何なんだ。

きっかけは納谷幸男選手

プロレスを初めて観たのは今年の1月3日。
後楽園ホールで行われたDDTプロレスの頂点を決めるD王グランプリの決勝戦だ。
お目当ては、納谷幸男選手。昭和の大横綱大鵬の孫で貴闘力の長男、王鵬の兄にあたる。 

ドラマ「サンクチュアリ」で相撲に興味を持つようになってから、貴闘力と大鵬の娘の間に4人の息子がいて長男がプロレスラーなことを知った。SNS を見るとド派手なガウンをまとう2mを超える巨漢。でも決して体育会系の感じではなく、アニメや漫画好きのサブカル系な雰囲気が私のツボにハマった。

後楽園ホールの正面席、初めて生で観た試合は、ものすごい迫力だった。2m120kgあるという納谷選手に比べ、対戦相手の遠藤選手はボディビルダーのような筋肉だが、177cmくらいで明らかに小さい。体格で劣る遠藤選手が思い切りマットに叩きつけられ、場外では硬い床に容赦なく落とされる。

体が床に当たる音、肉体と肉体が当たるが生々しくて、こちらの体まで痛くなってくるようだ。普通の人間なら骨が砕け内臓が損傷していてもおかしくない衝撃。この人たちの身体は一体どうなっているんだろう?

そんな納谷選手の一方的な攻撃が続いていたが、途中で遠藤選手の反撃が始まる。納谷選手の巨体を持ち上げ投げ飛ばす、コーナーポストから空中技を決め飛び降りる。そしてマットにいる選手はそれを受け止める。2回目は膝を立て飛び降りてきた遠藤選手を迎撃。これは受ける側の膝も痛いようで悶絶していた。

どちかが勝つかわからない攻防が延々と続き、バックドロップを決められここで終わるか!と思いきや3カウント直前で跳ね返ってくる遠藤選手。とんでもない精神力だ。  

いつしか私も他の観客のように声を出して納谷選手を応援していた。結果は納谷選手の勝利。優勝トロフィーを手にした納谷選手は泣いていた。会場全体で勝利のカタルシスを味わう、不思議な多幸感に満ちた空間だった。

納谷幸男選手

プロレスラー坂口征夫という生き方

そんな感じで一気にプロレスにはまり、過去の試合動画を見漁っていたら、また気になる選手を見つけた。入場時から殺気を感じさせるような雰囲気。歳は40代後半だろうか黒髪で細身、そして上半身の肩や背中に刀や鬼面を描いた和物の彫り物が入っていた。他の選手とは明らかに異色。任侠映画に出てきそうな凄みがあった。

武器は細身の体から繰り出されるキックや関節技。特にキックは鞭のような鋭さで相手を悶絶させていた。しかし他の選手のようにアクロバティックな飛び技や、重い選手を投げ飛ばすような力技はなく、劣勢になることも多かった。
調べてみたらこの選手は坂口征夫選手といって昭和の名プロレスラー、坂口征二の息子で俳優の坂口憲二の兄だった。坂口征二は世界の荒鷲と呼ばれ70年代から80年代にかけて一世を風靡したプロレスラーで、194cm125kgの巨漢パワーファイターだ。

坂口選手は、そんな偉大な父にコンプレックスを抱きながらもプロレスラーを目指すが体格により断念。しかし闘うことへ執念は消えることはなく、総合格闘家になる。2010年には現役を引退。その後は道路工事を請け負う会社を設立し、社長としての顔も持つ。請われてプロレスのリングに上がったのは2012年。DDT所属となったのは2014年だ。DDT高木社長の「本当はプロレスがやりたいんじゃないか?」の呼びかけがきっかけだったという。

プロレスのリングに初めて上がった坂口は、総合格闘技とは違い、ただ目の前の相手だけを見るのではなく、360度お客さんに見られていることを意識して闘わなけれなならないプロレスの特殊性を感じたそう。一緒にリングに立った弟の坂口憲二氏は、まるで演劇のようだと語った。

坂口征夫引退試合

そんな坂口選手が引退を決めた。
最後の試合相手に選んだ選手はHARASHIMA選手。デビューから23年のベテランで49歳だが、30歳くらいに見える驚きの容貌。いつも爽やかで明るいキャラクターだが、鬼のように強い。いつも笑顔で骨が折れるギリギリまで攻めてくる・・。

おそらく一番試合で当たることが多い選手だったのではないか。前述したようにプロレスは360度観客に見られていることが前提のエンターテイメント。プロレスがエンタメか真剣勝負かいまだに議論が分かれるところだけど、アメリカではmatch(試合)ではなくshow(ショー)と呼ばれてる。 

選手同士に絶対的な信頼関係がある

だからこそ相手の技を受け、見せ場をつくる。場外乱闘もする。しかもそんな試合を平均週2で、多い選手は週3でやっている。いかに相手に怪我をさせず、自分も怪我をしないで受け身をとるかがプロフェッショナルたる所以なのだと思う。そして選手同士に絶対的な信頼関係があるから、コーナーポストから後ろ向きで飛び降りるような技もできる。

会場の空気が一変する

引退試合は、この日のメインイベントだった。
布袋寅泰のギター「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」の入場曲が流れると空気は一変した。特にセレモニー的なものもなく、静かにゴングが鳴らされる。そのうちマットの上で組み合ったまま静かな攻防が始まった。その時間、5分以上。それを前の試合までビール片手にウェーイ!と盛り上がってた観客が息を殺して見守ってる。静寂の中、カメラのシャッター音だけが響く。後方の私の席からは時々二人が見えなくなる。ショー的な魅せる要素はなく、二人だけの世界に見えた。

胸を切り裂くようなキック

何を見ているんだろうと言う気分になる。そこから激しいキックの応酬が始まった。お互いの胸に重く鋭いキックを浴びせていく。それが延々と続くのだ。互いの胸は真っ赤になり、途中で崩れ落ちる坂口。観客席から「こんなもんじゃねぇだろ!」の怒声。立ち上がり、ひざまづき両手を広げ、あえてHARASHIMA選手の膝蹴りを受ける坂口。この時、全く手加減を加えているように見えなかった。あまりにも痛い。3カウントでも立ち上がることはなかった坂口選手。そんな坂口を抱きしめるようにフォールするHARASHIMA選手。美しいと思える光景だった。

プロレスはエンタメでありながら痛みは本物だ。あれが痛くないなら、何を見てるのだろう。そして選手の表情も、ショー的なオーバーアクションに紛れて、本気の怒りや悔しさが垣間見えるときがある。そんなフィクションとリアルが入り混じった世界で、リアルの部分が突然顔を出す瞬間がえげつないほどの輝きを放つのだ。

試合のあとは、選手全員との握手があった。一人ひとりと言葉を交わし、抱き合い、涙を抑えられない選手の肩を叩く坂口。団体の兄貴分として慕われていたのがわかる。そして選手全員による胴上げ。その瞬間を後ろから撮ったのが、この写真だ。坂口選手は3回宙を舞った。
その間、THE BACK HORN 「刃」の一節がBGMとして流れつつけていた。今でも耳に残ってる。

ゆっくりとリングを後にする背中にスポットライトが当たり、映画のワンシーンを見るようだった。花道から帰る時も、名残惜しそうに一瞬だけリングを振り返った。

花束もない、渋い引退試合だった。男の人がプロレスを好きになる理由がわかる気がする。そのあと、坂口選手がSNS(X)でメッセージをくれた人、ひとりひとりに丁寧に返信しているのを見た。そして引退パーティーの数日後、坂口選手のアカウントは消えた。

プロレスというファンタジー

あまりにパッといなくなったであっけに取られた。SNSの中の人と共に坂口征夫と言うプロレスラーもフィクションであったような気になる。私が短い間だけ見たプロレスラー坂口征夫は誰だったのか。喧嘩好きで酒好き、無頼なキャラクターを演じていたのだろうか。違うようで、そう言われれば演技だったのかも知れないとも思った。

でも、この胴上げをされた時の背中は、見られることを意識していない素の瞬間だと感じた。そして役割を演じていたなら、それが何だと言うんだろう?誰もがみんな大人を演じ、一社会人を演じ、家庭では父や母を演じてるんじゃないか。

そしてプロレスラーは他のプロスポーツ選手よりも、驚くほど選手生命が長い。
というか明確なライセンスもないことを知った。他の仕事を持ちながら、プロレスラーとしてリングで戦い続ける選手もたくさんいる。プロレスラーとは一職業ではなく、生き様なのだ。痛く苦しい思いをしてまで、なぜリングに上がるのだろう?その謎を解くためにこれからもプロレスを見に行きたいと思う。







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