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ヴィハーン〜新生エアインディアの挑戦②タタ家の空

はじめに

こんばんナマステ❤️🤍Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

昨日から3日間にかけて書いている、エアインディアを中心としたタタグループの航空会社の再編についての中編。

現在タタグループにはエアインディア、エアインディアエクスプレス、ヴィスタラ、エアアジアインディアの4つの航空会社があるけれども、これがどのような経緯でそーなっていったのか、そして今後どーなっていくのか、ということを書いていってるよ。

昨日の記事はこちら👇

グループのエアアジアインディアについての過去記事

『インドの衝撃(インド大学)』で話した関連ポッドキャスト

エアインディア①昨年時点(約39分)

エアインディア②先月時点(約35分)

ヴィスタラ(約19分)

エアアジアインディア(約20分)

今日は昨日予告したタタグループとエアインディアの因縁について書いていくことにするよ。

上記のポッドキャスト「エアインディア①」で話している内容なので、よかったらそっちも聴いてみてねっ✨

そんじゃ、いってみよう🛫

インド航空史の父

ルイ=ブレリオという人を知っているだろうか。

よほど航空史やフランス史に精通していなければ知らないのではないかと思うけど、フランス航空史の父と呼べる人物。

かのライト兄弟と同じ頃から空を飛ぶことを夢見て試行錯誤を繰り返し、結果として1903年、彼らに先を越されてしまい人類初飛行は果たせなかったけれど、1909年には英仏海峡を初めて横断することに成功した。

その時離陸したフランスのカレー市にある海岸にはブレリオプラージュ(ブレリオ海岸)の名前が付けられている。

んで、このブレリオはタタ財閥に連なる実業家ラタンジ=ダーダーバイ=タタの友人だった。というのは、彼はパリに住み、フランス人の女性と結婚したくらいだからそちらに人脈があったわけ。

そして、2人の間に生まれたのがタタグループ第4代会長になるジャハンギール=ラタンジ=ダーダーバーイ=タタで、長過ぎるのでJ.R.D.タタと呼ばれるのが一般的。J.R.D.はブレリオの影響で飛行機を自ら操縦するようになった。

1929年にはJ.R.D.が英領インドで初めての航空ライセンスを取得し、1932年には航空事業として自ら現パキスタン・シンド州のカラチからタタ財閥の本拠地であるボンベイ(現マハラーシュトラ州ムンバイ)までを飛行した。これがインド史上初の商業飛行となる。

そして1938年にタタ航空として創業。一般的にアジア最古の航空会社と言われるフィリピン航空は1941年の設立だからそれよりも早いことになる。

第二次世界大戦中はイギリス空軍に協力、戦後の商業飛行再開に伴い1946年にエアインディアとして有限責任会社にした。そう、エアインディアは元々タタ航空だったのだ。

1947年にインドとパキスタンが分離独立を果たすと、ボンベイが本拠地のためタタ財閥はインド側についた。そしてインドの初代首相ネールーの意向により1953年に航空会社法が制定され、エアインディアは国営化された。

J. R. D. は国営化に強く反対したけれど、国営化後に会長職を要請されて受諾。1977年まで無償で務め上げた。タタグループ内の他の事業よりも優先するかのように熱を上げたため、グループ内では溜息も聞こえた。エアインディアは今となってはオワコンの航空会社という感じだけど、アジア初のジェット機導入など進取の精神はJ.R.D.だからこそ成し得たものだろう。退任後にその栄誉を讃えられインド空軍名誉司令官の称号を与えられる。

初の商業飛行から30年後の1962年、50年後の1982年にJ. R. D. はカラチーボンベイの記念飛行に挑戦している。最新機材ではなく、極力初飛行当時の機材に近いものでね。

特に後者はJ.R.D.も御年78歳、長年操縦から離れており、記念飛行への高揚感から1ヶ月前に狭心症を患っており無謀と思われたけれど、これを成し遂げた。これについてはJ. R. D. はインド国民に広がる閉塞感を打破するために遂行したことを告白している。

カラチではパキスタン航空🇵🇰の協力もあり、パキスタン航空史にとってもJ. R. D. は父親といえる存在なのだろう。

叔父から甥へ受け継がれる航空への意志

J. R. D. タタの甥で後継者としてタダグループ第5代会長を務めたラタン=タタも叔父の気質を受け継ぐ航空好きで自らグループ内の飛行機を操縦する。1986年にはエアインディアの会長を務め、エアインディアへの情熱も強い。

ヴィスタラの前身ともいえる構想として、かつてシンガポール航空と共同で新たなフルサーヴィスキャリアの設立を画策するが、政治家から暗に賄賂を要求され頓挫したことがある。ゾロアスター教に連なるタタ家には強い倫理観があり政治家の汚職を度々指弾してきた。

2013年、マレーシア🇲🇾のLCCエアアジアと合弁でエアアジアインディアを設立、タタグループの航空業界復帰の狼煙を上げた。エアアジア(現キャピタルA)CEOのトニー=フェルナンデスは、ラタンにエアアジアインディアのCEOを依頼したけど、これは実現せず。

2014年にはシンガポール航空🇸🇬との合弁でフルサーヴィスキャリアのヴィスタラを設立。昨日も書いたように、より高級なサーヴィスでエアインディアに対抗した。

そしていよいよ大本命のエアインディアに手を伸ばす日がやってきた。

おかえり、エアインディア

1991年の経済自由化以降の競争激化で赤字体質を脱却できないエアインディアについて、政府は2018年に株式の76%を売却しようとするも買い手がつかず、2019年には全株式の売却(完全民営化)を決意。

当初は最大手LCCのインディゴなどからの引き合いもあったようだけど、最終的にはタタグループとLCCスパイスジェットから応札があり、政府による審査の結果2021年10月8日タタグループへの売却が決まった。

タタグループはエアインディア、エアインディアエクスプレスの株式の100%、エアインディアとシンガポール航空🇸🇬の合弁で空港の地上業務を担当するエアインディアSATSの株式の50%を取得し、82億USドルの負債のうち20億USドルを引き受けるけれど、インディアン航空が1996年に設立した子会社アライアンスエアは売却されず国営民営会社として残ることになった。

エアインディアは約70年ぶりにタタグループに復帰することになり、名誉会長(第5大会長)ラタン=タタ氏はtwitterに「Welcome back, Air India 🛬🏠」とつぶやいた。

おわりに

タタ家2代、70年の悲願がよーやく実現したけれど、それは終わりではなく茨の道の始まり。

新生エアインディアに立ちはだかる課題と、今後のタダグループ各社再編の行方は❓

明日はそこを書いていくよ🌟

それじゃあバイバイナマステ❤️🤍暑寒煮切でしたっ✨


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