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中ソに翻弄されたバルカ共和国

こんばんなまらステ❤️💙💚💛Kyoskéこと厚沢部煮切(あっさぶにるぎり)だべさっ⭐️

明日はいよいよ『VIVANT』最終回、そして北山くんがTOBEに入る日だね。

『VIVANT』の黒幕の予想はしていて、憂助の刀に盗聴器が仕掛けられていて、それを仕掛けることができたのは憂助の家に滞在したことがある人物だよな、というのはさておき。

第9話でバルカ共和国の内乱について新事実ができたので軽く触れておきたい。

それは1978年に中華系住民がイスラーム住民を殺害する事件から、4つの勢力のバランスが崩れたということ。

バルカにおいて、中華系住民は共産主義思想、

カザフ系住民はイスラーム、

ロシア系住民はキリスト教、

モンゴル系住民は仏教を信仰していることになっており、

これを紐解くとロシア系住民はスラヴ人ではなくアルタイ人ではないかというのが、自分の考察。

また、中華系住民は国共内戦後、中国国民党が逃げてきたのではないかと。

だとしたら国民党の残党がどーして共産主義思想になったのかというと、いくつかのことが考えられた。

共産主義思想が毛沢東主義なのかマルクスレーニン主義なのかで大きく違うしね。

だけど、1978年というキーワードから、毛沢東主義であると思う。

元々のバルカ共和国の住民ではなく、台湾へ行った蒋介石達とは行動を別にした国民党員は、バルカ共和国を大きく動かすエスニシティとは言えなかったのではないだろうか。

そもそもこの国は中国とは接していても、接したところはウイグルであり、伝統的な漢民族の居住地区とは離れている。

現在の新疆ウイグル自治区は入植の結果漢人の方が多数になっているけれど。

バルカ共和国に向かった国民党員と中国との関係も希薄だったはず。

彼らが共産主義思想に目覚めたのは1960年代後半からの文化大革命だろう。

革命の輸出を謳う毛沢東及び中国共産党にとって、バルカ共和国の華人達の存在は都合が良かったんじゃないかな。

彼らが台頭してくるまでのバルカ共和国はソ連内のロシア系、カザフ系、それにソ連の16番目の共和国と揶揄されたモンゴル系がいたわけで、基本的にソ連の傀儡国家といっていい。

恐らく中国と適度な距離を置くための緩衝国としてソ連はバルカ共和国を利用することを目論んでいた。

ところが、文化大革命によってバルカ共和国内の華人が赤化していき、かつ中ソの関係悪化に伴って、華人の存在はソ連にとって目障りなものになりつつあった。

文化大革命によって世界各国が中国と国交を断絶するなか、バルカ共和国もそうであったのかも。

文化大革命は1966年に毛沢東が死去したことで中国国内の展開を終えるけれど、世界中に影響を与え、各国で過激な革命が起こっていく。

バルカ共和国内の華人達も毛沢東主義に染まり、バルカ共和国における共産主義の浸透を画策するようになった。

これを察知したソ連は彼らを何度も潰そうとするけれども、彼らは決して屈さなかった。

そして弾圧を受ければ受けるほど、彼らの考えや行動は先鋭化していった。

1978年というとヴェトナムとカンボジアの紛争やソ連によるアフガン侵攻という中ソ間の代理戦争が勃発した年であり、恐らくこれに呼応するかたちでバルカ共和国の華人はソ連側にあたるカザフ人を攻撃したのだろう。

ソ連を倒すチャンスと考えた中国とアメリカはこの問題をモンゴル族やアルタイ族にも飛び火するよう動いたのかもしれない。

中国やアメリカは戦後のバルカ共和国を傀儡国家にするべく紛争をけしかけていったんじゃないかな。

その目論見がどこまで当たったのかはなんともいえない。

ただ、大国同士の論理でことが進み、バルカ国民はその犠牲になっていた気がする。

この内戦の終結には日本が関連している気もする。

日本がバルカ共和国から地下資源を多数くれるので日本がバルカ共和国を守ってくれたのかもしれない。

ノゴーン=ベキ(緑の魔術師)だってそのひとりだしね。

ということで本当に楽しみな最終回。

仕事なので明日の間に見ることはできないかなぁ😭

それじゃあバイバイなまらステ❤️💙💚💛厚沢部煮切でしたっ✨



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