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何故ソーキそばは沖縄そばの主役になったのか

こんばんなまらステ🤎Kyoskéこと厚沢部煮切(あっさぶにるぎり)だべさっ✨

日本人がイギリスではー、ってゆーときは大概イングランドだけだとは思うけれど。

兎に角、ロンドンの香港人経営による日本料理店で出されたチキンカツカレーが大ヒットして、今やイギリスではカツの有無を問わず、日本式カレーのことをカツカレーと呼ぶようになったとされる。

この記事は2021年だし、確かにこの頃結構話題になったなと。

そんな話を思い出したのが、これ。

ヤマトンチュー(沖縄の人から見て鹿児島以北の日本人)はすば(沖縄そば)のことをソーキそばと思っている人がまだまだ一定数いるということ。

ソーキは豚の肋のことで、所謂スペアリブの他軟骨の周りを軟骨ソーキとも呼ぶ。

当然ながらソーキすば(ソーキそば)とは軟骨ソーキを含むソーキの載った、あるいは別皿でついたすばのことで、すば全体を指す言葉ではない。

同じようにてびち(豚足)が載った(あるいは別皿でついた)すばはてびちすば(てびちそば)と呼ばれるわけで。

単にすば、そば、沖縄そばと書かれたメニューがあれば豚の三枚肉が載るのが常。

三枚肉、ソーキ、てびちが定番で、3種盛りとかスペシャル的な表現があれば、これらがすべて載る。

ちなみに自分は選べるなら絶対にてびちで、ソーキはそこまで食べないかな。

ところで福岡の天神にあるお店のようだけど、すば専門店ってのがすごいな。

やっぱり福岡には東京以上に沖縄から出ていく人多いんだろーなぁ。食べたいよぉ🤤

これは別にヤマトンチューの見識ということで探してきただけのpostなので悪しからず。

カツカレーのことを思い出したのは、このpostから沖縄そばにおけるソーキそばの位置付けに対する知見が次から次へと明らかになっていく流れ。

名護にはソーキすばの元祖論争があるらしい。

なんにせよソーキそばは名護発祥の様子。

そしてめちゃ面白いやり取りが繰り広げられる。

カンガルー🦘🦘🦘⁉️

かなり詳しい人の解説登場。

これで答えは出た感じがするね。

情報というより私見なんだけど、これも一理あるかな。

ここで元祖説のひとつである「我部祖河食堂」が唱えているエピソードも見ておきたい。

鮮魚・精肉店を営んでいた際、高級品なのに売れ残ったソーキを長時間煮込み味付けをしてすばに載せたら、常連客に好評で、店の隣ですば屋を始めたのだという。

新しいグルメが生まれる瞬間って大抵こんな感じだよね。

これが当時の日本テレビに取り上げられ、東京から多くの人が殺到したともいうけど、これはどーだろーか。

東京から見れば当時まだ外国でしょ。取材に来たというのも、東京からわざわざ食べに来る人が数人なら兎も角殺到というのも、信じ難いなぁ。

これに対して「名護そば」「丸隆そば」「我那覇そば」系では、ソーキ汁の余りをすばに載せたとしている。

ソーキ汁は大晦日または正月(両説見かけるので家庭や地域によってバラツキがあると思われる)に食べる料理で、元はソーキすばよりソーキ汁の方が沖縄では知られていた。

伝統的な沖縄の正月は豚を一頭買ってきて、家で捌いて余すことなく使ったんだって。

どちらの説も先に挙げた豚肉の解体方法が、日本へ施政権移管後に変わったという話と繋がってくる。

豚肉はお祝い事があるときなどに個人が解体していたのが、日本に組み込まれてからは屠殺場で解体するように変わったのではないかと。

その結果、ソーキは高級品ではなく、日常消費できるくらい流通した。また、個人では分離していなかった軟骨ソーキも別途登場したと。

だから「我部祖河食堂」側も「名護そば」側もレシピは昔から思いついていたかもしれないけど、グランドメニューとして提供できるようになったのは1972年の沖縄施政権移管後なんじゃないかと思えてくる。

そして1975年の沖縄国際海洋博覧会がソーキすばとすばの運命を決める。

海洋博はまさに本土復帰記念事業として、名護に隣接する本部町に世界各国のパビリオンを呼んで行なわれた博覧会で、ミニ万博のような感じ。

ヤマトンチューにとっては1970年の大阪万博が忘れられず、その追憶を沖縄の歓迎に繋げたかったのだろう。

海洋博をきっかけに沖縄へ初めて行ったヤマトンチューが極めて多かったわけで、ビーチリゾートが本部に近い恩納、名護、今帰仁あたりに集中してるのもそのせい。これは米軍基地との兼ね合いもあるけれど。

そして名護でソーキすばに出逢うわけ。

ちょうどそれが広まり始めた時期だから、観光客にもオススメとして出したんじゃないかな。

とくに団体客には自動的にね。たくさん売れたら仕入れも安定するからさ。

それで「沖縄でソーキそばという不思議な食べ物を食べてきた」と語ったんじゃないだろーか。

ここで自分の話をしたい。

「ソーキそば」を生まれて初めて食べたのは中学生のときの文化祭。

今思い出すと三枚肉だったし、業務用の酷いスープだったと思う。沖縄出身の教員が酷評していたのも記憶に残っている。

でもね、その時自分は何て美味しい食べ物がこの世にあるんだ、と思った。

そしで高校生になり、修学旅行で沖縄へ行きホンモノを食べることになり、沖縄そばとソーキそばはイコールでないことを知る。

その時だって観光客向けのとこしか食べてないんだけど、それでも文化祭のそれよりは格段に美味しくて、その教員の言ってたことがよくわかむた。

以降、大学生のときは都内の沖縄料理の店でよく食べてたし、それなりに満足してたのよ。

だけど、ゼミ関係の調査で沖縄行った時に、空き時間に食べ歩いてみた地元民に人気のすばの味を知って衝撃を受けて以降、ヤマトですばを食べることはほとんど無くなった。

こっちで満足できるのは鶴見の沖縄タウンにある「ヤージ小」くらいかな。昔代田橋にあった「首里製麺」も美味しかったけど。あとは麹町の「ソラノイロ」が毎年年越しでやる沖縄そば。これはガチで美味い。

大阪の大正には多分美味い店あるはずなんだけど、大阪行ったら食べたいもの多過ぎて😓

先に挙げた福岡の店は良さそうだから行ってみたい。

ということで自分もソーキそばを沖縄そばだと思っていた頃があったんだよ。

もっともっと由来を知らなきゃダメなんだ。

色んなところで話しているけれど、インドの仕事を始めた当初、インディラ=ガーンディー国際空港のガーンディーってマハトマ=ガーンディーのことだと本気で思ってたくらいだからさ。

インディラっていうのはなんか偉大なるインドみたいな意味なんじゃないかなって勝手に思い込んでて。

だからインドについて語る資格なんかなんにもないんだけど🤣

ちなみにインディラはヒンディー語、サンスクリット語で美しいとか素晴らしいって意味ね。

なので人名としたら美佳、優美、美貴、秀美みたいなとこかな。

強権的なイメージとは裏腹というか💦

それじゃあバイバイなまらステ💛厚沢部煮切でしたっ✨



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