「 自分のテンポで生きていいよ 」

1日が24時間なのはわかる。

でも、
小学校が6年で中学校が3年で高校が3年ということ。
18歳で大人になってしまうこと。
基本は週5日働いて2日休むことがルールだということ。

そういう1つ1つがよくわからなくて戸惑ってしまう。
待って、置いていかないで、と大きな声で叫びたくなる。

どうしてそう決まったの?
これがみんなにとってのベストなの?
これが達成できれば幸せなの?
みんな違和感なく心地よく過ごせているの?
なぜなぜ、どうして、止まらない。

もっと時間をかけて勉強したいし。
テストの成績の為ではなくて、知りたいから、楽しいから勉強したいし。
ずっとずっとお母さんのごはんは美味しいし、実家のお布団もお風呂も魔法みたいに最高だし。
家族でげらげら笑ってお話しながらテレビを見ていたいし。
もっと沢山甘えたいし。
大人と子供の違いもなんだかよくわからないし。

好きなことをぎゅと詰め込んだ今の働き方なら1日休みなんていらないし。

読書や文筆、お絵かきなら時間を忘れてずっと続けられるし。


テンポって、スピードってそれぞれに流れていると思っている。
それは「正しい」なんてなくて、その人にとっての「心地よい」がただ一つあるだけだと思う。

私は、中高は上手く学校に通えなかった。友達も沢山いたし、いじめられているわけでもなくて、勉強だって好きだった。ただ、いろんな決まったスピードについていけなくなってしまった。足並みがそろわない。追いつかない。

私はもう進みたくなくて、生きるにはもう少しお休みが必要で。進みたくても躓いてしまう。立ち止まってしまう。本当に苦しかった。

大学は1年休学して、通信大学に転籍して今も自分のペースで学んでいる。4年で済ますはずのことにどれだけ時間をかけているのだろう。

振り返ると全部ずれて、全部遅れをとって、全部全部ゆっくりだ。
ダメな人でしかなくて、情けなくて申し訳なくて仕方ない。

でも、こうしないと私は生きてこられなかった。
大袈裟に聞こえるかもしれないけど、私にとってはそれくらいの意味を有していて、だからこそ、もうなるべくそういう面を持つ自分を自分自身で責めるのは避けようと思っている。なるべく。

だからこそ、この元から決められたテンポに乗り続けることのできる人たちは素敵だし尊敬する。でも、お節介ながらこっそり自分のテンポを聞こえないふりしてしまっていないかとも心配になってしまう。心地よいテンポ知っているのかな。

今は色んなテンポで生きることが少しずつ許される社会になっている気がする。
働き方も。学び方も。家族の形も。趣味の幅も。
どんどん広がり自由になっている。この時代に生まれたことに凄く感謝している。恩恵を受けながら、自分の刻むテンポにもっともっと耳を澄ませていきたい。そのテンポに乗せて軽やかに歌い踊るように生きていけたらきっと幸せだ。幸せってそういうことのような気がしている。

既存の示された「幸せテンポ」「正解テンポ」なんて気にせずに。
ちょっと、ほんの少し参考にさせてもらいながら「自分テンポ」を刻んでいけばいい。

今日も私は耳を澄ます。そしてゆっくり刻んでゆこう。

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