世界の切り取り方
明日は私の誕生日なの。廃線となった線路に寝転びながら彼女は私に向かって毎日そう呟く。彼女の閉ざされた世界では、夜明けと共に全てがリセットされる。だから永遠に彼女の誕生日が訪れることはない。映画『式日』より。
私は綺麗なものが好きだ。今にも壊れそうで、それでいて何にも汚されることのない強さを持つものに魅力を感じる。喫茶店のメロンソーダが綺麗なのは、炭酸の弾ける姿に儚さを感じ、人工的なまでに鮮やかな緑色に目を奪われるからであろう。ギターを抱えた家出少女の持つ不安定さと裏腹の社会に対する反抗精神も美しい。人は弱い。私が弱い人間だから、人は弱くあって欲しいという願望も含まれているのかもしれない。だが、いくら弱くとも命の灯は消してはいけないという自分への戒めもある。それこそが退廃美の本質なのだと思う。弱さで覆われた力強さ。不安定な生きる意志。そうやって人は生きていく。
昨日見た映画『ラストレター』(岩井俊二監督作品)の中で、福山雅治演じる小説家の乙坂が、廃校になった学校をカメラで収めるシーンがとても印象的だった。岩井俊二監督作品の映像美については、また別の機会に語るとして、私はファインダーを通して世界を切り取ってみたいと強く思った。写真を撮られるのは苦手だし、iphoneのカメラロールもほとんど消してしまっている。でも、そんな私でも一眼レフカメラならば、美しい映像を残せるかもしれない。いや、残す必要なんてない。自分にとって大切なのは、美しい世界を自分の眼で切り取るという行為そのものなのだ。ファインダー越しの世界にシャッターを切ることで、それは私だけの為に切り取られた世界となる。冒頭の少女の閉じた世界は不安定だが美しくもあるように、綺麗でつらいことのない美しい世界に生きたいのだ。
すべては自分のために、、、
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