出鼻をくじくのはいつでも自分

全然全く別のテーマで書いてたけれど保存忘れて文章が消えた。
時間とお金の話をしたかったのだけど出鼻をくじかれた。

何かをしようと思った時何か突発の出来事があってはじめられなかったという経験は珍しくないし、この地球に産まれてしまったらもれなく全員が生理現象の次くらいにはやったことがあるし定期的に発生していると思う。

外的要因だけじゃない。

休日出掛けようとか掃除をしようとか色々計画したにもかかわらず結局寝て終わるなんてのは日常茶飯事で、特に飲んだ次の日は八割寝て終わる。

人間というのは常に【言い訳】して生きている。

【自分はこういう性格だから】【周りの環境がどうのこうの】【見た目が…】とかね。

根性論唱える訳では無いが、嫌だなと思うことや変えたいと思うことに対して周りの文句だけ訴えていないだろうか。
自分の怠惰を性格だと勘違いしていないだろうか。

現状維持は退化とはものすごく本質をついている。

生きているうちは勝手に歳はとるし、勝手に腹も減る。
髪も伸びれば爪も伸びる。
細胞も入れ替わる。
命の維持のために、そうなる。
年齢は抗えないだけな気もするけど。

川の水もとどまれば腐ってしまうのだ。

変わらない君が素敵だよなんてのは、信念や見た目の話だけだ。

少なくとも日常の不満を周りのせいにして、自分の性格のせいにしてぐちゃぐちゃ文句しか言わず同調をもとめ、居心地のよいところにしか身を置かない人間に変わらない君が素敵だよなんて言う人はいない。
変わらなくていいんじゃない?(笑)なんていうのは完全にネタにされている。
そしてそのままでいいと言った人間はこっちの人生の責任は取ってくれないのだ。

なんとも悲しい話である。

いつまでも燻って考え方が澱み、君の人生が濁っていく様を、充実した日々を送りながら変わらない君が素敵だよ、配慮がない周りが悪いさ。なんて微笑みながら言うのだ。

辛い気持ちになっているところに染み入る癒しの声だろうが、恐らくそれは良い友人ではない気がする。

優しさとは一体なんだろうとおもう。
瞬間耳あたりのいいこと、都合のいい事をするのはとても簡単だ。
簡単で感謝という対価、あの人はいい人なんだという賞賛がすぐに手に入る。
相手がそれで無能になろうが、問題解決出来なかろうが、あの人はいい人だと賞賛される。
そして優しくされた人間はきっとまたその場しのぎに頼るのだ。
優しさの闇金だ。

そんなことない!と思う人もいるだろう。
優しさと気づかいを混同しないほうがいいと。
とても似ているけれど違うと思っている。

悪魔はとても望んだ装いで、欲しい言葉や優しさを掛けてくる。

もし私が悪魔をやるとするならばそうする。
ドロドロに脳みそを溶かして魂を回収だ。

ご褒美はどんな時に出るだろうか。
平たくいえば頑張った時だ。

なんともまあ不条理な仕組みである。

欲しい欲しいという前になにか行動しない限り、欲しい物どころかどんどん腐敗してしまう世の中なのだ。

やりたくないなー
めんどくさいなー
周りがむかつく
理不尽だ

その根本はなんだろう。
そのいわゆる根暗で行動出来ない、頑張れない性格とやらは本当に性格なのかしら。
もしそうだったら文句もたれずに何もせずとっくに死んでいると思うけど。
現状を変えたいとは思わないと思うけど。

怠け癖やトラウマとかすごく大変な事情なんて日本で生きてる人間たちは全員が持っている。
それを受け入れてしつけるのか、中途半端に都合よく使って飲まれて性格だと自分を下げるのか、私はのらりくらり前者でいたい。

自分で自分を呪いながら周りを毒沼だと言い聞かせて、自分で自分の出鼻をくじくのなんてなるべくしたくないね。

自分の機嫌を摂るために戦略的一時的にすることはあるけど。

ちなみにこの記事は前回アップした記事の前にかいていたものだ。
アプリが落ちて消えたと思っていたがなんと自動保存されていた。
出鼻をくじかれたと思ったけど、違ったらしい。
出鼻をくじかれたけど、後に手を引かれてしまった。
ラッキーだ。

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