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叔父が亡くなった

私が小さい時から可愛がってくれていた叔父。
まだ叔父という関係がわからない私に、
「おじさんじゃないよ、〇〇君だよ。」
と言った。
それから今まで、君呼び。
たまに遊びに来ては、ボソボソと好きなことを話していく。
とことんマイペース。
と言えば聞こえはいいが、ぬぼーっとしていて捉えどころがない。(伝わるだろうか)

最後に一緒に出かけたのは4年前。
東京の深大寺に行った。
しっかりと叔母にレクチャーされていたらしく、
「今日はね、任せといてよ。」
と、相変わらずボソボソとマイペースに、一応エスコートしてくれている。

神代植物園にも足を延ばし、
「ここはバラ園が綺麗なんだよ。」
と、全くバラの時期ではない時にそんな紹介をされ大笑いした。
「じゃあ、今度はバラの咲いてる時に来ようね。とりあえず、売店でバラのモナカアイスがあったから食べようよ。」
と誘えば、
「そういうチャレンジ精神を試す食べ物は食べないことにしているんだよ。」
自分は無難にバニラアイスを食べていた。

別れ際には、お土産を待ち合わせ前に買っていたらしく、得意気に渡してくれた。
「じゃあ次はバラの時期か、菖蒲が綺麗な時に。
その前にみんなで食事会をしましょうかね。」

それから数ヶ月後に大腸癌が見つかり、闘病生活。
1回目の手術の後に、お見舞いに行ったら
「あら、こんなとこまでどうもありがとう。
次は歩いてるからお酒呑もうね。」
と笑っていた。

ちょうど1週間前にリモート呑み会をしたばかり。
抗がん剤治療は中止され、緩和ケアに切り替えて好き勝手できると、やっぱりボソボソ好きにしゃべっている。
「驚いちゃったのは、兄弟の中で一番健康だった貴方のお父さんが先に逝っちゃったことなんだけど。まぁ、でもcanapéちゃんと、一緒に呑めてよかったよ。ちょっと疲れたので、またね。」
と最後までとことんマイペース。
「次は誕生日にね!!」
声をかけたら
「美味しいケーキ用意しといてね。」
これが最期の会話。

あと、2週間で誕生日だった。

このコロナ禍。私の職場でもコロナ感染が広がっているので葬儀に参列することができない。
こんなに悲しくて悔しいことはない。

何より、全く実感が湧かないのだ。
また、ふらっと一方的にLINEがきそうだ。

コロナが落ち着いたら、まずお線香をあげに行こう。
その帰りに叔父が綺麗だと言っていたバラ園に行ってみるのも良いかもしれない。
その時は、バラが咲いているか。
また、あの時みたいにバラが咲いていないか。
どちらだろう。








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