さくら並木の下を自転車こいで

31歳で出産した息子が1年生になった。
葉桜になった桜並木を通って、近所のお兄ちゃんたちと一緒に小学校に通い始めた。
息子の通っていたこども園は保育園枠の子と幼稚園枠の子、両方が通っているので、卒園式は3月の中頃だった。幼稚園枠の子たちはその日が最終日だったが、息子たちは3月31日まで登園した。息子の担任の先生がとても良い先生で、先生もお母さんたちも号泣の感動の卒園式だったが、息子は翌週から2週間は登園した。
登園最終日は、担任の先生が息子を抱きしめてくれて、先生と息子は2人でしばらく話をしていた。そんな2人を見てまた涙が出た。
息子は少し離れた小学校に行くのでほとんどの友だちとは会えなくなるのにケロっとしている。私はいつも迎えの時、園庭で立ち話をしていたお母さんたちとも会えなくなると思うと本当に寂しい。

最終日は「明日からは小学校だぞ。わかってる?友達と存分にお別れしてね」という私の心の声は届かないかのように園庭で薄暗くなるまで、いつものように友だちと楽しそうに元気に走り回っていた。

翌日、4月1日は息子の通っていた園まで、娘を送り届けた。
娘はまだ2年通うのだけれど、息子の通わない園は違うように見えた。
初日は、小学校へ自転車に息子を乗せて送り届けた。
この日はお天気がよく散り始めた桜を見ながら、森山直太朗の「さくら」を歌いながら自転車をこいだ。自分で歌った歌だけど胸に響いた。
桜がこんなにも意味を持ったのはその時が初めてだった。切なく希望も照らしてくれる複雑な桜だった。
この先ずっと「桜」といえば、この年、小学校初日に「さくら」を歌いながら自転車に息子を乗せて見たものが思い出されるだろう。

前日まで子ども園、翌日からいきなり学童で、切り替えができるのかと心配したが、案外とケロっと順応しているようで少し安心している。


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