餃子を包む話

冷凍餃子がおいしくて安いから、手作り餃子なんてしないって?

そうか。でも俺は包むね。餃子を包む。

別に意味なんてないよ。こだわりの餃子というわけでもない。それでも餃子を包むのは、餃子を包んでいる時間が好きだからなんだろうな。

餃子を包むのはプレゼントを選ぶのに少し似ている。プレゼントを選ぶとき、喜んでくれるかとか、どんな顔するかとか、ありがとうなんて言われている自分まで想像しちゃうでしょ?それでワクワクするじゃない。餃子も同じ。

きれいに焼けるかとか、どんな匂いが溢れるのかとか、おいしかったなんて言われている自分まで想像しちゃうでしょ?餃子には期待が詰まってんのよ。

餃子を包むのは手紙を書くことに少し似ている。手紙を書いてから届くまでには少し時間がある。その間に、思いが強くなったり、逆に少し後悔があったりもする。できるだけ後悔がないように、書いている時間は本気で手紙に向き合う。それで心が弾んだりするじゃない。餃子も同じ。

包んでから食べるまでには少し時間がある。食べたい気持ちが強くなって、でも焼いている途中で破けちゃったりしないかななんて後悔もする。できるだけ後悔がないように、包んでいる時間は本気で餃子に向き合う。餃子には思いが詰まってんのよ。

それに、餃子を包むのがうまい人間に悪いやつはいないと、俺は信じている。

小さい頃から家で餃子を包んだり、大学生になって友達の家で餃子パーティーをしたり、いろんな人に囲まれて餃子包みスキルを上げていってんのよ。王将で働いてたかもしれないね。それでもさ、やっぱ長い時間かけて、いろんな人との交流があってさ、それで餃子包みが上手くなるのよ。餃子包みは一日にしてならず。餃子には人との時間が詰まってんのよ。

だからさ、やっぱ俺は餃子を包みたいなって思うわけ。企業努力の詰まった餃子もいいけどさ、俺の餃子を包みたいんだよな。

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