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勉強の真の目的は「自己決定権を持つことだ」と伝えることの大事さ

15秒で分かる今日のポイント
●自分である程度自分のことができるのに「自己決定権」を持つことはできない子供の葛藤
●親ができることは、①できる限り自分で決めさせる、②できないことはどんな知識を得たらできるようになるか伝える
●「勉強しなさい!」では伝わらない!勉強(知識を得ること)の真の目的は「自己決定権を持つ」ことである

■自分に決定権がないことに葛藤する6歳児

近頃娘(6歳児)がやたら早く大人になりたいというので、その理由を聞いてみました。

娘の語った理由が結構面白いもので。

「本当に何もできなかった子供のころは、ママとパパが何もかもしてくれて『いつまでも子供でいたーい』って思ってたけど、この頃ちょっと大きくなって自分でやらなきゃいけないことが増えたでしょ?でも自分では決めれないことが多くて『何時に学校に行く』とかほとんど大人が決めるでしょ。私は自分のことを自分で決めれる大人に早くなりたいの!」


この理由は、私を結構うならせました。

なるほど。「自分でやる」ことを求められるのに、「自分に決定権がない」ことに葛藤しているのだな、と。


確かに、このくらいの年齢の子供って、自分で着替えられるし、自分で髪も洗えるし、いろいろと自分でできることが増える。

でも、服やシャンプーは親が買って来ることもありますよね。

まだ微妙に時間の観念も弱いので、8:20始業の学校に行くには、10分前の8:10に出なさい!とか親に指示されて、朝も決まった時間に起こされたりする。

そうか、娘は決定権が欲しいんだ!



■人は自分で決めるから責任を持つ

人は自分で自分のやることを決めるから、そこに責任を持てますよね。でも、人に決められたことをやってばかりだと、「だってあの人がこうしろっていうから」なんて言い訳が出てきたりする。

それに、人に指示されたとおりにやることばかりをしていると、いつの間にか自分で自分のことを決めれない指示待ち人間になります。

そんな例を、「右向け右」的教育が中心だった昭和の人間である私はたくさん見てきた気がします。

実際に会社にもそういう人はまだ結構いると思います。というか大半がそうではないでしょうか。


私のころの学校教育は、集団生活の中で「先生の指示」が絶対で、先生の指示に従ることができる生徒が「模範生」として評価されていたように思います。

かくいう私はわりとそういう模範生タイプで、先生に評価されていれば間違いないと結構大きくなるまで信じていた節がありました。

そういう人って、結局、指示を出してくれる人がいなくなると途端に何をしたらいいのかわからなくなり、自分がどうしたいかさえ分からなくなります。

なぜなら、「自分がどうしたいか」に従ったこと、つまり、心の声を聴いたことがないからです。



そう思ったとき、この娘の「決定権が欲しい」というリクエストをちゃんと聞いてあげたいと思いました。


■「どうしたいか」徹底的に問う

まず最初にしたことは、どんな小さなことも、「どうしたい?」と聞くことを徹底するようにしました。

例えば学校に行く時間。

私「8:20には学校に到着しないといけないのだけど、どうしたい?」
娘「門が開く時間に一番乗りしたい!」
私「門が開くのは8時だね。じゃあ何時に出たらいいだろう?」
娘「7:30!」
私「学校までは5分だから、それだとずいぶんと早く着いちゃうよ」
娘「じゃあ7:55に出る!」
私「了解!じゃあその時間にいつも出るにはどうしたらいいと思う?」
娘「Google homeに頼んで毎日アラーム鳴らしてもらう」
私「OK!じゃあ設定してみて」

こんな具合に、起きる時間も、食べるものも、服も石鹸も持ち物も、こちらの予算の許す範囲で基本的には自分で決めてもらうように。



■まだ自分で決めれないことは、「どういう知識を得たら決めることができるか」を伝える

しかし当然ながら自分で決めれないこともあります。

例えば、娘は好きなアニメの映画を見に行きたいのですが、今週末私は用事があって行けません。「じゃあ1人で行きたい」という。

私「でもね、電車に一人で乗れる?電車に乗るには降りる駅の名前を路線図で見つけないといけないし、その場所まで行く切符を自分でいくらか確認して買わなくちゃいけないんだよ」

娘「まだわたし、漢字読めない。数字もわからないのがあるし…」

私「そうだね、そしたら自分で行けるようになるには、まず数字を読んでお金がわかるようになることかな。駅名は駅員さんに聞いてもわかるとは思うけど、漢字を読めるようになったらもっといいね!


まだ早いよ!できないよ!ではなくて、

どんな知識をつければそれができるようになるか

それを伝えることで、娘も学校でしている勉強が「しなくてはいけないからするもの」ではなくて、

〇電車に一人で乗れるように数字が大事、漢字も必要
→自分でしたいことをするためには数字が大事、漢字も必要

という認識に変わってきているようです。



■すべての学びは(学校の勉強も)「自己決定権を持つため」である

これって結構大事なポイントだなと近頃思うのですが、勉強(知識を得ること)って結局「自分で自分のことを決める」ためにあると私は思います。

知識がないと、誰かに決めてもらわなくてはいけなかったり、自分で決めることができない。

なぜなら、「どうしたらいいのかわからない」から。

でも、知識さえあれば、「善し悪しの判断」がついたり、自分にとって良いものがわかる。

結局どんな知識も「自己決定権を持つ」ためなんだと思うんです。


それを教えずして、「勉強しなさい!」というのは、やはり本末転倒で、「勉強が目的」になっているように思います。

勉強によって得る知識はあくまで世の中を生きていくための「ツール」であるということを、伝えることは大事なんじゃないかと。


娘は私と夫の子供なので、「勉強が大好き!」ってことはまずないと思いますし、必ずしも勉強ができることがすべてだとは私は全く思っていないのですが、娘には勉強をすることの意味を伝え続けていけたらなと思います。

そして、早く娘が自分のことを自分で決めることができるよう、サポートしてあげたい!

心からそう思います。

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