見出し画像

「何を学ぶか」より大事なこと

15秒で分かる今日のポイント
⚫︎娘の小学校の候補先として見に行ったラーンネットで、改めて考えさせられたこと
⚫︎「自分自身がどうしたいか」を認識すること、「決断」し「実行」し、「やり遂げる」こと。そういう「基礎体力」を習得すればどんな時代が来ても怖くない!

先日、ラーンネットグローバルスクールという学校を、娘の転校先候補として見に行きました。

なんていうんだろう?ああいう学校…オルタナティブスクール??

〇少人数制(1学年8名)
〇自由教育というか、ある程度のフレーム(例えば算数の時間、国語の時間など)はあるけれど、子供自身でテーマを決めて学習する、といった形式
〇小学校卒業の資格を得ることができて、卒業後は一般の中学校へ進学
〇場所は六甲山上の山小屋的な建物(自然の中)
〇料金はX万円程度(当然公立よりお金はかかる)

公立の小学校とは全く違う形式の小学校。

■学校で教えられたことをスポンジのように吸収する娘に感じた不安

私がこういう学校に興味を持ち始めたのは、現在小1の娘が急速に地元の小学校に慣れていくことにやや恐怖心を覚えたから。

娘は割と環境適応能力が高いので、地元の小学校ですぐに友達ができ、宿題も難なくこなし…

担任の先生曰はく、道徳の教科書に書いたような子、なんだそうで。

そんなわけないだろ!

と思うわけです。

普段の娘は決してそんなタイプではなく、結構癖が強い方だと思うのですが、なんだか学校では、「こうしましょう!」と言われたことを実直に実践しているように見えていました…

そんな時起こった算数のテスト事件!

問題は「果物の数だけ色を塗りましょう」とあり、娘の答えは合っているのですが、上から色を塗ったために「×」となり、先生が「下から塗ります」とコメントを入れています。

これ、上から塗っても下から塗っても、どっちでもよくない?!

なんだかこの辺りから不安を覚え始めました...

別にどう塗ろうがよくないか?!なんで答えを画一的にしようとするんだろう??

こういう画一的な教育の押し付けに、素直な娘がどんどん染められ、最後には「こういうもんだから仕方ないか」と疑問を抱かなくなることが一番怖い!と思ったのでした。

■「目的意識を持つ」ができていなかったのは私

そんな流れで小学校の選択肢が他に欲しくなり、最も近くにあったラーンネットを見に行ったのですが、それは子供以上に自分のあり方が問われる興味深い体験となりました。

六甲山上のその学校へは阪急岡本駅の近くの一軒家からマイクロバスが出ています。朝、見学者が集まって、みんなでマイクロバスで向かいます。

朝10時半頃から14時半くらいまでの見学時間だったので、授業に参加させてもらうのかな?中を案内してくれるのかな?どんな見学プログラムなんだろう?

なんて思って向かったのですが…

到着するや否や、

では、自由にどうぞ!

と…完全放置!!!!!

帰りのバスまで4時間…どうしよう??と大人たちはちょっとポカーンとしました。

そして私は気づいたのです。

自分が、もてなしてもらうことを前提にそこに来ていたこと。

自分が主体的に「これを見たい!」「これが知りたい!」ではなく、「何を見せてくれるのかな?」という受け身の姿勢で来ていたこと。

人は課題意識や目的意識がないと、何も吸収することができません。ただ入ってくる映像をTVを見るようにぼんやり眺めるだけになります。

私は完全に足が止まってしまい、「これはまずい!」とその場で頭の中を整理し始めました。

なんでここに来ようと思ったんだっけ?
何に課題意識を持っていたんだっけ?
何を期待していたんだっけ?
何があれば娘にいい環境と思うんだろう?

■毎日「決める」と「実行する」を繰り返すという筋トレ

最初、現地で完全放置されたとき、「え?なぜ放置?案内してくれないの??」と困惑した私ですが、子供たちの様子を見学していく中で段々その意味が分かってきました。

ラーンネットの子供たちはみんな、「自分で決めて、それを実行する」を日々当たり前のようにしています。

1,2年生のクラスを覗くと、みんなそれぞれバラバラのことをしていました。

その時間は「とことん?」という授業時間で、それぞれが自分の決めた課題をとことんやる時間なんだそう。

ある子は大好きなカワウソ?の生態についてまとめていて、他の子はメダカのことを調べていたり、ビーズで何か作っている子もけん玉をしている子も、サッカーをしている子もいました。

最初は、好きなことしていていいな!程度だったのですが、

「これ、自分で何をするってみんな自分で決めれるの?」と思い始めました。

普通の小学校では、毎日先生がテーマを決めてくれますよね。これをしましょう!とか今日のテーマはこれです、とか。

その疑問をラーンネットのナビゲーターの方にぶつけてみると、「最初は戸惑う子もいますね。そういう子は一緒に考えたりします。でも次の年には他の子がしていることを見て、それに刺激されたりして、どんどんやりたいことが浮かんできます」とのこと。

この「自分で決める→実行する」が当たり前の環境に置かれたら、きっと「次は何をしてみよう?」と常に「自分で決める」意識に向かうようになることは容易に想像がつきます。

だって、決めないと何もできないのですから!

■「WHAT(何を)」ではなく「HOW(どうするか)」を学ぶ

ラーンネットの見学で私が最も感じたことは、結局この毎日の「自分で決断して自分で実行する」の繰り返しは、学びの「基礎体力」をつける筋トレみたいなもんだな、ということ。

人の人生は毎日決断の繰り返しです。

何をするか決めれないと何もできない。そして、決めるだけではだめで、実行しなくてはいけない。

それを当たり前のように繰り返して小学生のうちにそれを習慣化するのがここの教育なんだろうな、と思いました。

私が教育に関してこだわっていることの1つに

「WHATよりHOW」

というのがあります。

今、娘が小学校で学ぶこと、中学高校、大学で学ぶことは、あくまで「現在分かっていること」や「今現在の世の中で必要なこと」でしかありません。

世の中は私たちが子供の頃の数倍速で進んでいて、子供の頃に学ぶ情報や得る知識は、大人になるころにはすでに古くて使えなくなっているかもしれませんし、なんらかのテクノロジーが代行しているかもしれません。

例えば、私が小さいころに習っていたそろばんや習字。

今となってはそろばん1級が就職や業務に役立つことはあまりなく、Excelの使い方に長けてる方が実用的ですし、美しい筆字を披露する機会よりメールを書く機会のほうが圧倒的に多い世の中です。

今後について言うと、おそらく英会話も、自動翻訳がさらに進んで、近い将来必要なくなるのではないかと私は思っています。

だから極端なことを言えば、

知識や情報の中身は実はあまり重要ではないのでは?と思うのです。

だから、結局「WHAT(何を学ぶか)」ではなくて、「HOW(どうやって学ぶか)」。

その、学ぶ過程や学び方、のほうが大事なのではないかと思っています。

つまり、ラーンネットのように「自分で決めたことを、自分で実行し、やり遂げる」という経験を繰り返すことの方が意味があるのではないか。

例えば、「カワウソに関する知識」を得ることが大事なのではなく、カワウソのことを知ろうと決め、どんな方法でカワウソのことを調べたらいいか考え、どこまで調べれば十分なのか考え、人に伝えるにはどうまとめたらいいのか考えることのほうが大事!

そういう経験の繰り返しが将来やってくる様々な課題に取り組む基礎体力になる、と思っています。

■まずは「自分で決める」ことから

今、私が娘と向き合う中で最も意識していることは「じゃああなたはどうしたいの?」に答えられる子になってもらうこと、です。

自分の考えを持ち、自分がどうしたいかが分かっているかがまずは大事。

つまりラーンネットで繰り返されていることの最初のステップ、「決めること」の手前の段階です。

自分がどうしたいか分かっていないと決めれないので。

自分がしたいことが分かり、決めることができ、実行でき、やり遂げることができたら、人生怖いものなし!

そういう基礎体力をつけてほしい。そんな自分の教育の方向性が、今回の学校見学でさらに明確になりました。

でもですね、今回のようにそう考えている親である私が、自分が何を見たいのか、何を知りたいのかをちゃんと「決めること」をせずに見学に向かったことが、そもそも恥ずべき事ですよね。

これ、大いに反省しました。

こういうところから親の在り方は問われるわけです。

結局「子供」より前に「自分」。自分があっての子供!

私自身も子供と一緒に成長あるのみ!です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?