マガジンのカバー画像

記憶の欠片(幼少期のエピソード)

41
特に山もオチもない日常の一コマが、なぜか鮮明に記憶されている。 なぜそんなどうでも良い瞬間の記憶が、そのほか多くのビッグイベントの記憶よりも鮮明に焼き付いているのか。 あの日あの…
運営しているクリエイター

#小学生

最後の跳び箱(レモンさん)

私は怖がりだ。 おばけも怖い、泥棒も怖い。 そして、マット運動で後転する事さえ怖い。 首の骨を折るんじゃないか、手首を捻挫するんじゃないか、 そういう想像が先走り 足が動かなくなる。 小学校の体育には跳び箱の授業がある。 小学校では6段飛べれば合格で、人によっては8段10段飛ぶ人もいる。 この跳び箱が曲者だった。 跳び箱は私に負の連想をさせるには必要十分だった。 私は跳び箱が飛べない。 それは運動神経の問題ではない。 負の連想で体が動かないのだ 私は一番低い3

岡田あーみん(巨万の富男)

小2くらいの時だと思う 俺には5上の姉がいて、仲が良かった。 姉は岡田あーみんの「お父さんは心配性」という漫画が好きで、 毎日俺に読み聞かせをしてくれたりしていた。 お父さんは心配性の内容を、俺と姉の二人で全役やって、 コミック1巻からストーリーを進めていく遊びをよくやっていた。 そう、姉にとって「お父さんは心配性」はバイブルだった。 ある日曜の午後、親父が庭で火を焚いていた。 当時はどこの家も、燃えるゴミを庭の焼却炉でガンガン燃やしていて、 1週間分の燃えるゴミ、

二人だけの通学路(ソンバサウナさん)

小学校の時、私はマンションに住んでいた 私の部屋は503号室 そして303号室には保育園から一緒の友達のゆかちゃんが住んでいた 階段を降りるとすぐゆかちゃん家につく。 私の朝の日課は、ゆかちゃんを迎えに行って、一緒に学校に行く事。 だけど、ゆかちゃんには1つだけ問題があった。 それは登校の準備がすごく遅い事。 8:30に家を出ないと学校には間に合わない。 でもゆかちゃんは、8:30を過ぎてもまだ準備をしているの。 しかも毎日だよ!! 「早くしてよ!学校に遅れちゃう

手紙(ソンバサウナさん)

小学校3年の時 いや、2年生の時だったかな 私のクラスでは空前の手紙メモブームが到来していた。 授業中にノートの切れ端に手紙を書いて、授業中に回すというのが流行っていた 隣の人に渡す時、腕を振るふりをして渡すとか、 消しゴムを貸すふりをして回すとか、 今考えると、麻薬の密売人みたいな、趣向を凝らした技法が発展していた。 教師の目を盗んで回す手紙は格別で、中身なんて対して意味のあるの事書いてなかったよね。 その日も私は手紙を回していた。 いつも通り、大丈夫! 私の思

坂の下に見えたあの町(じゅん@あさらじお)

小4くらいだったと思う。 当時サッカーブームで、遊びと言ったらサッカーか、 サッカーボールを使う遊びばかりやっていた。 Jリーグ開幕に端を発した大波は、 西の端、長崎にまで押し寄せていたんだ。 長崎は坂の街だなんて言われているけど、 小学4のこの頃はそれを意識した事はなかった。 坂があるのが普通だと思っていたし、 自分の住んでいる地域と他の地域を比べるほど、 よその地域に詳しくもなかった。 だから、普通だったら斜面でボール遊びをする事は無いだろうけど、 僕たちは、いつも

飛行機の操縦席(うつこさん)

小学校の時 飛行機の操縦席に入れてもらった事がある おばあちゃんと2人でオーストラリアに行った時 フライトアテンダントと操縦士が仲良しで、 長時間飛行に飽きてきた私は飛行機の操縦席に入れてもらった 操縦席にはたくさんのスイッチがあって、 おじさんが二人、座っていた。 いろいろと話してくれたが、そんなに興味がなくて、 ふーん、と思っただけでした。 この話をその後いろいろな人に話したけど、 誰も信じてはくれなかった。 そう、誰も・・・ ※このエピソードは、インタビューを元