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地方都市での暮らし方を模索する

 僕は街を観察することが好きだ。僕は生まれてこの方引っ越しをしたことがなく、同じ街で生活し続けてきた。そんな僕にとっての普段の楽しみの一つがいろんな街に出かけ、その街の特色を楽しむことだ。連休が取れれば、県外の都市に遊びに行ってもいい。しかし、それはたまにできる楽しみであって、普段の土日休みは近隣市町へ日帰りで遊びに行くことがほとんどだ。

 僕が生まれた愛知県は、産業が発達していて人口が多い一方、観光的な魅力が乏しい場所だ。県内で楽しいと思える場所を探すのは容易なことではない。だから行き先を決めるのには工夫が必要だ。

 僕はできるだけオープンして間もない施設に積極的に出向くようにしている。施設の種類は大型商業施設、図書館など、公共性がある建物で気兼ねなく利用できるものなら何でもいい。オープンして間もないような新施設は、これからの時代を表す建物だ。これらは、数十年スパンでその土地に残り続けることが約束されているようなものだ。僕は数年前に自家用車を買って以来、近隣市町に新施設が建設されるたびに実際に出向いて見学するのを休日の楽しみにしている。

 そんなことを繰り返しているうちに、地方都市について考えることが多くなった。僕は街のどういうところが好きでどういうところが嫌いなのか。他の人はどのように地方都市での生活を楽しんでいるのか、あるいは退屈しているのか。今日は現在の地方都市について思うことを書きたいと思う。

戸建てとイオンを往復する退屈な休日

 人口減少が進む時代ではあるが、愛知県ではいまだに至る所に大型商業施設は建設され続けている。イオンをはじめとする大型商業施設は日常品を購入する場所であると同時に、娯楽施設としての機能も果たしている。地方都市に住む多くの人にとって大型商業施設はレジャー施設となっている。僕も大型商業施設は娯楽の場所として捉え、新しく大型商業施設が建設されるたびにそれらを見学することを楽しんでいた。

 しかし、最近になって少しずつ心境に変化が訪れている。大型商業施設は退屈だと感じることが多くなってきた。娯楽だと捉えられてきたことは、結局モノの消費でしかない。アマゾンを代表するECサイトによって大抵のモノが買える時代において、わざわざ大型商業施設に出向く必要はない。

 ECサイトがインフラとなった今日、実際の都市空間に求められるのは、新しい価値に出会える機能だと思う。買い物をするとき、目的物が決まっているのであれば、わざわざ実店舗に出向く必要はなく、ECサイトで購入するのが効率的である。つまり、モノが売る機能だけで評価すれば、実店舗はECサイトの下位互換でしかない。しかし、仮に実店舗に新しい価値に出会える機能があったとすれば、話は別である。例えば、Aという商品を買うために実店舗に出向いたが、買う予定はなかったが、Bという商品に魅力を発見し、それも購入するというような現象である。現在の大型商業施設は、最大公約数的な価値を持つ商品を主に取り扱っており、意外性がない。

 ただ、大型商業施設の事業者に意外性のある商品を売れと言っても仕方がない。あちらにはあちらの都合がある。僕が質問を投げかけたいのは消費者の方である。現在の大型商業施設での買い物を本当に楽しめているのか。退屈だと感じているのならどういう施設になって欲しいのか。消費者の意識が変われば小売業者も方針を変えるだろうし、僕ら生活者(=消費者)一人一人が何が楽しいと感じるのかちゃんと考えてた方がいいと思う。

 また、別の観点からの話になるが、住宅の話をしたい。僕は来年で30歳を迎える世代であり、周りの同年代の人たちが住宅の購入をしたという話を時折聞くようになった。彼らは、住宅ローンを組み、一戸建ての住宅を購入し、外出するときは主に自家用車で行動している。休日となれば、彼らのような層が、イオンのような大型商業施設の主な利用者だ。普段の休日のメインイベントが、戸建てとイオンを自動車で往復することである人々は多いと思う。住宅地とイオンを繋ぐ主な道路は自動車のスケールで作られており、歩行者はほとんどいない。よほどの運転好きでない限り、自動車での移動は作業でしかなく、休日の時間のロスだとも言える。また、住宅地近辺で歩いて遊びに行ける場所は限られており、免許のある大人はともかく、子供は行動範囲が極めて限定的である。僕はそういう休日は退屈だと思う。

 いや確かに、地方都市には一見してそういう退屈な選択肢しかないように思うし、彼らがそういう生活をしていることに強く否定はできない。ただ、仮に戸建てとイオンを往復する休日の代替案があったとしたら、考え方を変える人も少しはいるかもしれない。

人口30万人都市の駅前の可能性

 大型商業施設を訪れるたびに、僕はその退屈さに徐々に気付いていくようになった。これからもこの街で生きていかなければならないことに絶望すら感じる瞬間もある。

 そんな鬱々とした日々を過ごす中、豊橋市での市街地開発事業の中で、整備が進められていた図書館が竣工したという情報が入ってきた。市街地開発事業は土地の高度利用を押し進める事業で、高層の集合住宅などを建設することを目指している。僕は市街地再開発事業の事例を見たことがなく興味があったので、実際にその図書館に行ってみることとした。

 その再開発は、豊橋駅周辺の駅ビルが立ち並ぶ賑やかな地域で進められていた。地方とはいえ、それなりの都市的な環境である。最近オープンした図書館もそのような環境の中にある。

 何の事前情報も持たずに図書館に入ったが、どうやら豊橋市には別の箇所に既に他の図書館があり、この図書館は分館という位置付けらしい。図書館の中を見学したが、そこには予想していなかった驚きがあった。本のキュレーションが、明確に従来の図書館とは異質だったのである。それは図書館というよりは大型書店のキュレーションに近く明らかに若年層に発信していた。ただ、注意深くみると、大型書店と全く同じというというわけではなく、瞬間的に「売れる本」よりは、最新の事柄を扱いつつもこの先数年は通用するであろう本が取り揃えられていた。この絶妙なキュレーションは、強いコンセプトの元に行なわれていることは明らかであったし、従来の図書館に求められたアーカイブとしての機能に捉われず、全く異なる価値を生み出そうとしていることに潔さすら感じた。先にも話したが、実際の都市空間に求められるのは、新しい価値に出会える機能だと思う。この図書館は、目的を持たずに立ち寄っても新しい情報に出会える本の配置がされているし、おそらく利用者は「何か」を持ち帰ることができる。この図書館には従来の図書館にはない豊かさがあった。

 僕は、地方都市において明確な意思を持ってまちづくりに取り組んでいる人がいることを知れて嬉しかった。それが行政の施策なのか民間事業者からの提案だったのかは分からない。ただ、そういうまちづくりのプレイヤーが地方都市にコミットしているのは確かだった。

豊橋市まちなか図書館


 図書館を後にし、豊橋駅周辺も軽く歩いたが、図書館の他にカフェや飲食店が営まれており人々の様々な活動を内包する魅力のある都市空間だった。このような街並みがあるのは豊橋市だけではない。人口30万人以上の地方都市の駅前で多く見られる風景だ。地方都市の駅前はちょうど良い人口密度だと思う。訪れる人に様々な活動を誘発させるだけの人数が集まっており、一方で、窮屈さを感じさせない開放感もある。僕は人口30万人都市の駅前のスケール感に可能性を感じている。どういう場所で暮らしたいかを考えると、こういう環境は優先順位が高い。

暮らし方を見直す

 僕は、大型商業施設と分譲住宅地が作り出す地方都市の環境に絶望していた。しかし、人口30万人都市の駅前で、地方都市の他の側面を発見し、希望が途絶えていないことに気付いた。僕はこれからも、戸建てとイオンを往復する休日に代わる生活スタイルを模索していきたいし、少しでも地方が退屈だと感じている人が他にいるのであれば、僕と同じようにいろんな場所を体験してほしいと思う。

 もっと言えば、地方都市での暮らしを楽しくしていくためには、地方で生活をする全ての人が楽しい暮らし方について考えた方がいい。生活者が望まなければ、住宅や店舗の供給のあり方は永遠に変わらない。まずは生活者から行動するべきだ。そのためにも既存の価値観を一度取り払い、見たことのない街に訪れ、実際に楽しいと思えるものを探してみるといい。

 楽しい暮らし方について模索する仲間が増えることを心から待ち望む。

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