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『夢の回想録 髙田賢三自伝』髙田賢三 『高田賢三と私』鈴木三月

「素敵。きれいな色っていいな」と純粋に思えたのは、初台で行われている「髙田賢三 夢をかける」展でのことだった。作品の鮮やかさと、展覧会で放映されていた動画での髙田さんの穏やかな語り口が結びつかなくて、どんな人か興味がわいた。複数の切り口から彼の姿を見たくて、本人による回想録と、『髙田賢三と私』を手に取る。

1939年に姫路の花街で「浪花楼」という待合を営む実家に生まれる。戦争で疎開。実家はほぼ消失してしまう。神戸市外国語大学に進んだ彼は、広告で文化服装学院が男子の洋裁学生を初めて募集することを知る。必死にアルバイトをしてお金を貯め、入学するとコシノジュンコらと「花の9期生」と呼ばれるようになる。住んでいた六本木のアパートがオリンピックで立ち退きになることから、立ち退き料を元手にパリへ。そこから売り込み、仕事を見つけ、お店を構え…といった話はまるでドラマのよう。

本を読んで髙田さんの人柄を知る。朝までクラブで踊り明かし、お金はあるだけ使う、恋人は男女問わず。車の事故も複数回。モデルが番号札をもって粛々と歩くパリコレを、ノリノリの音楽でモデルを踊らせるスタイルに変える。ファッションショーのために野外テントを張ったり、象など生きた動物を登場させたり、という試みも彼が初めて実現する。この人といると楽しい事が起こる、そう感じさせてくれる人なんだろう。

私が『ファッション通信』を見ていた90年代、日本人デザイナーと言えばヨウジヤマモトやコムデギャルソンだった。その前の世代として活躍したKENZOは、思春期をこじらせた私には明るすぎたし、能天気なように見えて、ピンとこなかった。今、色とりどりで、楽しそうで、彼が作り出した服たちを、私はとても素敵だと思う。

KENZOのPRやプライベートのマネジメントも手掛けていた鈴木さんの本の終盤である髙田さんの言葉と出会う。彼のことをわかった気がした。
「華やかじゃなければ人生じゃない」

『夢の回想録 髙田賢三自伝』髙田賢三
『高田賢三と私』鈴木三月

#高田賢三 #自伝 #本

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