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一人でもくもくと引き出しを作る

私には行動力がけっこう備わっていて、気になることがあると「わーいたのしー!すきー!」と一人で調べまくり、足を運びまくり、やってみる。一人で突っ走る傾向がある。はっ、と気が付いて周りを見回すと誰もいない。寂しい。人に布教するときもあるけれど、正直面倒くさい。「いけない、歩調を合わせないと周りに誰もいなくなってしまう。みんなの動向を察知して対応しなければ」とか、こじらせて「こんなマニアックなものを好きになってしまう私って・・・なんでみんなが好きなものを好きになれないんだろう・・・」と思ってきた。自己肯定感が低い。

一人になるのが寂しくて、周りの様子を見まわしていると、あっという間に抜かれる。マーケティングで、新商品購入をする段階を分類した「イノベーター理論」があるけれど、イノベーターだったはずが、アーリーマジョリティとレイトマジョリティの様子を伺っていたら、ラガードになっちゃった、みたいな。全然楽しくない。欲求不満。そして欲しかったはずの連帯感とか共有は別に得られたわけでもない。「わーいたのしー!」感も薄れてしまう。なんだかなあ。

そんなことを繰り返して幾星霜。かつて「わーいたのしー!すきー!」で培った知識や喜びを共有できる人に巡り合うようになった。岡崎京子を読んでいた人、くるりが好きな人、本が好きな人、美術館に足を運ぶ人、ファッション通信見てた人。20代の時より、アラフォーの今の方がそういう人が周りに多い。ひょんなことから「あれいいよね~!!」と話ができるようになることは、本当にうれしい。もし知人の中で見つからなくても、SNSを使えば世界のどっかには見つかるだろう。私は本の感想をSNSにアップしているけれど、知人一人ひとりにその作家のファンであるかどうかなんて確認できない。SNSにアップしていると、見てくれた友人が「私もファンだよ」と教えてくれる。私もあの人の意外な一面を知れたりできる。すごいことだ。

当たり前すぎるけど今思う。人を追っちゃだめだ、周りに合わせたらだめだ。遅いし、鈍くなる。そんなことで人と共感なんてできないし、仮にできたとしても共感度合はさほど高くない。仕事とか、その他人生におけることもそうで、周囲やトレンドってその時既に遅いし、先の保証もない。これまで合わせようとしてきた自分に「糞みたいなことに時間と労力を使っちゃったな」と思う一方、ぽつんと一人で好きなことの引き出しをたくさん作ってきた自分に「よくやったよ、ほんと。そのおかげで今面白い話ができてるよ」とも思う。

#エッセイ #随筆

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