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悲しみの先にあるもの

毎月18日は観音様のご縁日。

長野市にある長谷寺さんをお参りしました。

ひと月に一度、自分を振り返り整えることのできるとても穏やかな時間です。

ご住職はいつも護摩祈祷の後に法話を聴かせてくださいます。

今日は「泣き虫菩薩」のお話しでした。

泣いてばかりの菩薩様が、
周りからばかにされながらも
泣いて泣いて泣き続け…

その涙はやがて枯れることのない湖となり、
泣き虫菩薩は大悲観世音菩薩となる

⁡というお話し...

私たちは人生において、愛されることや愛することを求めるけれどその愛はどこから生まれるのか、と問うならば、

それは、

「悲しみの果てに生まれるのだよ」

ということをこのお話は教えてくれているように思いました。

悲しいことはできれば避けたい、と思ってしまうけれど…

避けるのではなく受け入れることができたとき、愛という形で救われるのかもしれません。

また、悲しいことがあったとしても、末に愛となるのなら、強く生きて行けそうな気がします。

一緒に悲しんでくださる
悲しむことを許してくださる

お名前の通り慈悲深い観音様ですね。

ちなみに五行説で「愛」は木性と置き換えられます。

木性を生むのは水性です。
(水は木を育てる→水生木)

悲しみの涙を水とするなら、涙(水)が愛(木)を生むというのは自然の理とも言えますね。

観音様のようにとはいかないかもしれませんが、私も皆さまの「宿命」に寄り添える鑑定士でありたいと願います。


「泣き虫菩薩」のお話は
長谷寺ご住職の日記に詳しく書かれていました。
ぜひ読んでみてください☺️
https://www.hasedera.net/diary/1336/

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